肝臓時脳同時移植
〜手術室で目を閉じるまで〜
「手術頑張ってね」と、ダラスの友人達が、励ましにきてくれた。ありさちゃんと丸橋先生の奥様(通称みやちゃん)だ。
移植決定と聞いて駆け付けてくれた。
ほんとにありがたいことで、嬉しかった。
これから移植が始まり、十数時間後には結果がでる。手術には成功もあれば失敗もある。
このまま目をとじて、、、、。
励ましてくれた様々の人にお礼が言いたい。もちろん妻にも、それこそ言葉に尽くせぬほど、、。これが最後の別れになる可能性もあるのだ。
広空と最後に会ったのはいつだろう。
もう会えないのかな。
妻と友人に見送られ、ストレッチャー(稼動式ベッド)で手術室の
前まで運ばれる。
数人の看護婦がそこで待機していた。
皆、緊張した表情で術前の打ち合わせか?
と思ったら全然違う。笑いながらの世間話だ。
緊張しているのはオレ一人みたいだ。
Dr. 丸橋が現れた。鋭く真剣な目をしている。
「萩原さん、大丈夫です。もう少し待ってて。では後程」
とだけ言って去っていった。
あれから、どのくらい待ったのだろうか。
ウトウトしていて解らないが、いよいよ、手術室に運ばれた。
そして心の準備も、一つだけついた。
あとは、全てをベイラーの移植プログラムのスタッフに任せよう。
オレはとりあえず、ここまでもった。
あとはベイラーのお手並み拝見だ。
手術室の中に運ばれた。
オレの体を看護婦がなにかごそごそやってる。
とっとと痲酔を入れてくれ。はやくしてくれ。
と思っていたはずだが、、、、、、、そこから記憶なし。
静かに目を閉じていた。
そして十数時間後、ベイラーのお手並みの結果は、
「お見事でした」
精神錯乱
意識が戻りしばらくして聞いた話だ。
オレは2、3日、気が狂っていたという。
ステロイドの大量投与の初期症状らしい。
ICUを出て、一般病室(もちろん個室)に移った頃だ、
-やっと、病室に戻れた。順調に回復しているな。
そんなことを思いながら、ストレッチャ-で運ばれた記憶はある。
そして次ぎの記憶が、
「なんでかな?」と連発しているオレだ。
心の中では、自分は正当な事いっているのに、周りの人間(妻とナース達)にことごとく否定される。
例えば、
『オレは移植に成功したのだから、少しは気分転換したい、同じ姿勢でいるのは辛いから少し動きたい。トイレもいきたい』
「言ってるでしょ。駄目だって!動いちゃ!」
妻はもの凄い勢いで怒っている。
手を少しでも動かそうなら、しっぺが飛んでくる。
「また、抑制されたいの!」
(抑制とはベットに手足を縛り付けら拘束されること)
その時に思ったのは、
-えっ、また、、、、、。
記憶にはないが、すごい大暴れをしたらしい。
この数日の記憶は幾つかあるが、覚えているのは半覚醒状態の時で、あとはおとなしく昏睡か寝ているのだとおもっていた。
ところが、聞いてビックリ。
オレは24時間不眠不休で、大声で騒いでいたらしい。
大騒ぎが一段落して、『なんでだろう』攻撃。
自分でも、とにかく苦痛でこのままでは死ぬなと、感じていた。
移植が成功したなんて嘘だと思っていた。
『もう駄目だ。』
『移植成功したなんて嘘だろう』
『ほんと死ぬよ』
とうつ状態におちいり。
妻はそれを24時間昼も夜もなく、徹夜で聞かされていた訳だ。
妻は切れかかっていた。
次に残された記憶はひろたかの怯えた顔だ。
息子のひろたかを、救う会の赤坂さんが連れてきてくれたのだ。
オレは薄目を開けて、彼の存在を確認した。
そのときは、彼の怯え顔を見るのがいやで、すぐに目を閉じてしまった。
しっかりと意識を取り戻したのは、やはり、ひろたかの顔だった。
彼と目があった。
オレは顔を崩して変な顔をした。
すると、ひろたかが笑った。親近感を感じる笑顔でだ。
妻の声がする。
「意識もしっかりしてきてね。よかったね」
みんなに笑い声が走る。
「ほんと、面白かったね」
-えっ、面白い?、、、なにが。とオレ。
これも、まったく記憶にないのだが、
凶暴、そして『なんでかな』、『うつ状態』ときた精神錯乱、
とどめは、『モノマネ症候群』だったのだ。
相手がなにか言えば、それをそのまま繰り返す。
「大丈夫?」と優しい声で問いかけられれば、オレも「大丈夫?」と優しい声で問いかける。
そして、このモノマネ症候群の驚くところは、英語対応していることだ。
ナースがオレに話しかける。
聞いたことない単語だ。しかもネィティブスピークで話しかける。
普段のオレなら聞き取ることは不可能だし、それを真似して話すのも無理だ。
しかしオレはアメリカ人さながらの流暢な英語で、話し返していたという。
「OKハニィー」という看護婦に、オレも甘えた声で「OKハニィー」。
看護婦が真っ赤な顔して照れていたという。
それがナースステーションで有名になり、入れ代わり立ち代わりにナースがやってきた。
やがて、このモノマネも変化をとげる。
相手の言葉を受けてつなげるときがある。例えば、誰かが
「たいしたもんだ」と言えば「たいしたもんだね、やねやのフンドシ」
と、こう続く。
眼鏡をオレにかけさせてくれる。すると「♪あ~ら見えたのね~ェ、見えたのね♪」
歌い出す。
「そうなんですよ」で「川崎さん」
「わからない」では「おまえのうぶな瞳がまぶしいの、なぜ、わからない」
これら全ては、妻のメモに記録してあった。
ひろたかの笑顔や「面白い」と言った、みんなの理由がここにある。
そして、相手が何も話しかけてこなくなると、静かになるのかなと思いきや。
突然、歌をうたったり、落語家になって騒いでいた。
外から見ると楽しそうに見えるかも知れない。
しかし、自分自身では、最悪の苦痛しか覚えていない。
今でも思い出そうとすると、気分が悪いくらいだ。