移植手術成功

注意
これは2000年の日記のため、情報が古いです。また、医療情報についても素人患者の闘病記です。ご自身の健康に関しては、医療機関に相談してください。

肝臓時脳同時移植
〜手術室で目を閉じるまで〜

「手術頑張ってね」と、ダラスの友人達が、励ましにきてくれた。ありさちゃんと丸橋先生の奥様(通称みやちゃん)だ。
移植決定と聞いて駆け付けてくれた。

ほんとにありがたいことで、嬉しかった。

これから移植が始まり、十数時間後には結果がでる。手術には成功もあれば失敗もある。

このまま目をとじて、、、、。

励ましてくれた様々の人にお礼が言いたい。もちろん妻にも、それこそ言葉に尽くせぬほど、、。これが最後の別れになる可能性もあるのだ。

広空と最後に会ったのはいつだろう。

もう会えないのかな。

妻と友人に見送られ、ストレッチャー(稼動式ベッド)で手術室の

前まで運ばれる。

数人の看護婦がそこで待機していた。

皆、緊張した表情で術前の打ち合わせか?

と思ったら全然違う。笑いながらの世間話だ。

緊張しているのはオレ一人みたいだ。

Dr. 丸橋が現れた。鋭く真剣な目をしている。

「萩原さん、大丈夫です。もう少し待ってて。では後程」

とだけ言って去っていった。

あれから、どのくらい待ったのだろうか。

ウトウトしていて解らないが、いよいよ、手術室に運ばれた。

そして心の準備も、一つだけついた。

あとは、全てをベイラーの移植プログラムのスタッフに任せよう。

オレはとりあえず、ここまでもった。

あとはベイラーのお手並み拝見だ。

手術室の中に運ばれた。

オレの体を看護婦がなにかごそごそやってる。

とっとと痲酔を入れてくれ。はやくしてくれ。

と思っていたはずだが、、、、、、、そこから記憶なし。

静かに目を閉じていた。

そして十数時間後、ベイラーのお手並みの結果は、

「お見事でした」

精神錯乱

意識が戻りしばらくして聞いた話だ。

オレは2、3日、気が狂っていたという。

ステロイドの大量投与の初期症状らしい。

ICUを出て、一般病室(もちろん個室)に移った頃だ、

-やっと、病室に戻れた。順調に回復しているな。

そんなことを思いながら、ストレッチャ-で運ばれた記憶はある。

そして次ぎの記憶が、

「なんでかな?」と連発しているオレだ。

心の中では、自分は正当な事いっているのに、周りの人間(妻とナース達)にことごとく否定される。

例えば、

『オレは移植に成功したのだから、少しは気分転換したい、同じ姿勢でいるのは辛いから少し動きたい。トイレもいきたい』

「言ってるでしょ。駄目だって!動いちゃ!」

妻はもの凄い勢いで怒っている。

手を少しでも動かそうなら、しっぺが飛んでくる。

「また、抑制されたいの!」

(抑制とはベットに手足を縛り付けら拘束されること)

その時に思ったのは、

-えっ、また、、、、、。

記憶にはないが、すごい大暴れをしたらしい。

この数日の記憶は幾つかあるが、覚えているのは半覚醒状態の時で、あとはおとなしく昏睡か寝ているのだとおもっていた。

ところが、聞いてビックリ。

オレは24時間不眠不休で、大声で騒いでいたらしい。

大騒ぎが一段落して、『なんでだろう』攻撃。

自分でも、とにかく苦痛でこのままでは死ぬなと、感じていた。

移植が成功したなんて嘘だと思っていた。

『もう駄目だ。』

『移植成功したなんて嘘だろう』

『ほんと死ぬよ』

とうつ状態におちいり。

妻はそれを24時間昼も夜もなく、徹夜で聞かされていた訳だ。

妻は切れかかっていた。

次に残された記憶はひろたかの怯えた顔だ。

息子のひろたかを、救う会の赤坂さんが連れてきてくれたのだ。

オレは薄目を開けて、彼の存在を確認した。

そのときは、彼の怯え顔を見るのがいやで、すぐに目を閉じてしまった。

しっかりと意識を取り戻したのは、やはり、ひろたかの顔だった。

彼と目があった。

オレは顔を崩して変な顔をした。

すると、ひろたかが笑った。親近感を感じる笑顔でだ。

妻の声がする。

「意識もしっかりしてきてね。よかったね」

みんなに笑い声が走る。

「ほんと、面白かったね」

-えっ、面白い?、、、なにが。とオレ。

これも、まったく記憶にないのだが、

凶暴、そして『なんでかな』、『うつ状態』ときた精神錯乱、

とどめは、『モノマネ症候群』だったのだ。

相手がなにか言えば、それをそのまま繰り返す。

「大丈夫?」と優しい声で問いかけられれば、オレも「大丈夫?」と優しい声で問いかける。

そして、このモノマネ症候群の驚くところは、英語対応していることだ。

ナースがオレに話しかける。

聞いたことない単語だ。しかもネィティブスピークで話しかける。

普段のオレなら聞き取ることは不可能だし、それを真似して話すのも無理だ。

しかしオレはアメリカ人さながらの流暢な英語で、話し返していたという。

「OKハニィー」という看護婦に、オレも甘えた声で「OKハニィー」。

看護婦が真っ赤な顔して照れていたという。

それがナースステーションで有名になり、入れ代わり立ち代わりにナースがやってきた。

やがて、このモノマネも変化をとげる。

相手の言葉を受けてつなげるときがある。例えば、誰かが

「たいしたもんだ」と言えば「たいしたもんだね、やねやのフンドシ」

と、こう続く。

眼鏡をオレにかけさせてくれる。すると「♪あ~ら見えたのね~ェ、見えたのね♪」

歌い出す。

「そうなんですよ」で「川崎さん」

「わからない」では「おまえのうぶな瞳がまぶしいの、なぜ、わからない」

これら全ては、妻のメモに記録してあった。

ひろたかの笑顔や「面白い」と言った、みんなの理由がここにある。

そして、相手が何も話しかけてこなくなると、静かになるのかなと思いきや。

突然、歌をうたったり、落語家になって騒いでいた。

外から見ると楽しそうに見えるかも知れない。

しかし、自分自身では、最悪の苦痛しか覚えていない。

今でも思い出そうとすると、気分が悪いくらいだ。