2000年3月 肝臓腎臓同時移植決定

注意
これは2000年の日記のため、情報が古いです。また、医療情報についても素人患者の闘病記です。ご自身の健康に関しては、医療機関に相談してください。

ここから妻の日記↓

3/2(Thu)

不思議と腹水が前回のように溜まらない。以前は、腹水を抜いても、すぐ溜まった。先生が「溜まったらすぐ抜きますよ」といっていた。しかし、今回はまったく溜まってこない。

溜まるのも心配だけど、逆も心配だ。

【ここで本人から、まとめて近況報告】

最近の病状

本人が書きます!
ここ数カ月、電撃入院が続いた。

すべて肝性脳症による、意識の消失によるためだ。ただ原因が、はっきりしなかった。

先日、エコーによる検査をした。そこである事実が判明した。肝臓に血が流れていないのだ。

肝臓には門脈と呼ばれる静脈があるが、そこに血栓ができ、すべての血が逆流している。

渡米当初は、肝硬変で固くなった肝臓に、少量でも、血は流れこんでいた。それが今は、まったく流れてないのだ。

肝臓には解毒という働きがある。腸で消化された物質は、最終的に悪玉菌によって分解される。その時、有毒ガスを発生するのだ。

それが、通常なら血管の中に取り込まれ、門脈経由で肝臓にながれ込み、解毒をしてくれるのだが、今は、まったく流れてない。

有害物質満載の血液は、好き勝手な静脈を縦横無尽に走りまわる。これが、脳までくれば、脳症の兆候が現れる。

脳症のレベルは5段階あるが、以前は、1、2、3、4、と順をおって悪くなっていった。

今は、解毒がゼロの状態で、脳にくるもんだから、1から、突然レベル4である。いっきに意識の消失までいってしまう。おそらく、これが脳症の原因だろうと、それに対処した薬を飲んでいる。

はたして、どうなんだろう。「もう絶対入院しない!」と、心に強く願っても、目がさめれば病院のベッドの上。もう二度とコリゴリなんだけど。

そんなこんなで3月。

なにかと色んなことがあった。日記もオレが書く!とパソコンの前に座る。何も書けずに、5分ほどでベッドへ戻る。

倦怠感、無気力、吐き気、だるさ、虚脱感が、すべて頭にスペシャルをつけて襲いかかる。

もう無理。

というわけで、私が続きを引き受けます。(妻)
ここから妻の日記↓

色々あってと申しておりましたが、前回の入院時から言われてたこと。

「腎臓機能がまた低下。20パーセントしか機能していない為、腎臓も移植する方がいい」

一時、この話がでて、流れた事があったので、また回復するよ、きっと。励ましてきた。

ところが、今回は判定会議にまででて、しかも、臓器バンクに登録する事が決定してしまった。

肝臓移植はまるごと取り替えるが、腎臓移植はひとつ増えて3つの腎臓を持つことになる。

しかも、同時移植で、同じドナーの臓器提供を待つ事になる。

費用、手術の確率、待機時間はどうなるのかなどさまざまな不安はあるが、ベイラーの先生達におまかせするしかない。

あとには引き返せないのだ。


3/5(Sun)

ここの所パパの食欲が少しずつでてきた。相変わらず、たまにひどい吐き気を訴えるものの、腹水のコントロールは順調。

丸橋先生夫妻が日本食料品店での買い物帰りに、頼んだ食品を持ってきたくれた。

どうしても個人的に茶わん蒸しが食べたいので、三つ葉を頼んでおいたのだ。

夕食で茶わん蒸し♪と思って楽しみにしていたら、…….卵が。ない。明日の買い物で何がなんでも買ってこなくちゃ。


3/6(Mon)

アルバーソンへ買い物。

生きのいいとり肉と卵を購入。パパは茶わん蒸しは嫌いなので、唐揚げをメインで作る。

ところが、「おいしい、これなら食べれる」と、茶わん蒸しの方をぜんぶたいらげてしまったので驚いた。

逆に唐揚げは、一口だけで箸をおいてしまった。

「オレ、あまのじゃくなのかなあ」

と一言。

あまのじゃくでもなんでもいいから、とにかく食べる事だけは忘れないでほしい。


3/7(Tue)

久しぶりにアリスンさんからメールが届く。

アリスンさんはあと数カ月でイタリアへ行ってしまう。経理部長を勤めている為、仕事の引き継ぎなどで忙しいのだ。

2月には2回も風邪を引き、パパに伝染るからと、なかなか会えなかった。

この間、家に来てくれた時は、いつものアリスンさんでなく、少しやつれて、疲れ切ってた。

それでも、たまにこうしてメールを書いてくれる。

「まさひとはどう?食欲はあるの?早く順番が来ることを祈ってるわ」

毎回この3つが書かれている。

こんなに優しく、頼りになるのに、イタリアへ行ってしまうのはとても寂しい。

3/8(Wed)

パパがどうしてもマクドナルドのチーズバーガーが食べたいというので、ベイラー経由で買いに行く。

アリスンさんのオフィスに顔をだし、パパは元気だよと伝える。

ロバーツ病院には、3時頃行くと、「アレ?どっかで見た事がある」という人を良く見かける。

丁度、交代の時間らしく、入院中にお世話になったナースさんだ。運が良ければ(?)丸橋先生にも会える。

ほかほかのチーズバーガー片手に、いつもの散歩道を通るとリスに出会う。天気が良いので、私もちょこんと座り、リスと一緒にひなたぼっこ。

「パパも外にでればいいのになあ」

空を見ながら、飛んでる飛行機を見たら、急に泣きたくなってきた。やばい、やばい。ホームシックリターンズで、クセになってしまう。

真直ぐの1本道を、なぜだか猛ダッシュで走ってしまった。

パパは今日も入浴を楽しみ、入浴後のマッサージでうなる。

「いてててててーーーーっ」

肩のこりがひどく、ツボを押すと物凄く痛がる。


3/10(Fri)

夕べから、また吐き気がひどくなり頻繁に咳をする。

なぜだろう?

吐き気は仕方ないとして、黄疸がひどくなり、また脳症レベルがあがってきたみたいだ。

コップとストローを取り違える。何度もストローを指差し『コップ』と言い張る。

そのうち自分でも、変だと気付き、「これは、ストローで、こっちは……ああ、コップだ」

これは…….嫌な予感。すぐ、丸橋先生に連絡。

とりあえず、ラクツロースの量を増やし様子を見ることにする。

夜中頃からラクツロースが効いたのか、便の出は良くなってきた。


3/11(Sat)

なんとか、脳症レベルも下がり一安心。

変な咳も出ていない。

食欲は……あまりないが、果物を少しづつ食べている。

栄養ドリンク(エンシュア)も、高カロリーだけど、飲むと吐いてしまう恐れがあるので飲めない。

アミノレバンは、飲むことにする。


3/12(Sun)

昨日は落ち着いていたのに、今日また吐き気がひどい。昼間、薬を飲んだ直後に吐いてしまう。水分はポカリスエットで、補給。

一日中ベットで横になり、トイレ・薬を飲む時だけ起きる。起きて用を足しても、ボーっと立ったまましばらく何かを考えている。

「大丈夫?」

と聞いても、上の空の返事で一点を見つめている。

気持悪さが抜けないので、なんとか気を紛らわそうとしているらしいが、なかなか調子が良くならない感じ。

ベットの中でもウ~ウ~唸ってばかりいる。

「どうしてだろう……..どうしてだろう…..気持悪いよ…..。」


3/13(Mon)

今日も、時々吐き気を訴える。それでも、6種類の薬を飲まなくてはいけない。空っぽの胃の中に強い薬を入れれば、それだけ副作用はひどいはずだ。

トイレから戻るたびに、ポカリスエットを飲ませる。

「トイレに行くたびに飲むことにするの?」

「だって、凄い出てるようだから。」

確かに、便はよくでているが、ほとんど水用便。下痢がひどすぎて脱水が心配なのだ。


3/14(Tue)

午前中に診察。今日はAさんに通訳をお願いした。Aさんは、診察室の肝臓の組織図を見て、なにやら調べている。

片手には、電子辞書。

Aさん程しゃべれれば、会話には支障はまったくないが、それでも、勉強熱心なAさんは分からない単語がでてくると、けっして流さず、こまめに調べている。

(見習わなくては)

クリッピン先生にいつものように質問をし、とりあえず吐き気は薬を処方してくれるという。

問題の食欲も、ひどいようなら、外来で鼻から管を入れ、胃へ直接栄養剤を流すと言われた。

パパは、アセりからか、即答で「お願いします」と答えたが、その方法は最悪の場合にとっておいて、しばらくは吐き気止めで様子を見ましょうということに。来週、胃カメラの予約をし、帰宅。

一旦家にパパを送り、その後日本食料品店に1~2時間と決め出かける。

家に戻ってからパパが丸橋先生に連絡してくれというので、ポケベルを鳴らすと、すぐかかってきた。

「アンモニア値が高いので入院してくださいとの事です」


3/15(Wed)

昨日、ロバーツ14階に入院。

その後、点滴、ラクツロースも嫌という程飲まされ、今日はアンモニアの値が229から57に下がった。

カリウムも高かったが、それも正常値に。

今回は、昏睡までいかなかったので、明日には退院できそうだ。


3/16(Thu)

午前中に退院。

丸橋先生の奥様から、お弁当の差し入れを頂いた。

(とても美味しい!パパも少しではあるが食べて喜んでいた)

またしても、処方が変わったので、家につくなり、薬のリストを確認する。

(あれ?利尿剤が入って無い)

パパのジュースのストックがないので、昼にアパートの車で買い物。

一旦家に戻り荷物を置いてからブレンダさんのオフィスへ直行。

薬のややこしい質問に、さすがのブレンダさんも悩みながら、じっくり確認をして説明してくれた。

(それにしてもブレンダさん、いつもコーラを美味しそうにのんでるなあ)

腎臓の事も聞いたが、答えがうまく聞き取れず、メールで、かいてもらうことにして、部屋をでる。

さあ、処方せん。

処方せんの紙を持っていけば、100パーセントOKだと思っていた。

ところが、かなり強くてクセのあるくすりなのか、薬局の人が渡すのをためらっている。

どうやら、私が英文が読めないから、説明書を読めなく、危ないと思っているらしい。

(そんな危険な薬なのか???)

とりあえず薬はもらったが、家に帰って、説明文を翻訳した。

……….よくわからない。

グレープフルーツジュースはダメだとか、あまりに具体的過ぎて、なんだかふにおちないので、丸橋先生にメールで質問。

答えがわかるまで、グレープジュース、鉄分、カルシウム、マグネシウムはおあずけだ。

夜、、パパは1週間ぶりにお風呂につかり、今は気持良く寝ている。が、夜中の1時に薬を飲むため起こさなければいけない。

大事なラクツロースだから。


3/17(Fri)

丸橋先生からメールの返事がくる。

グレープフルーツジュースはやはり、薬の吸収を速める作用があるらしい。鉄分などは、薬を飲まなければ、それほど気にする事はないらしい。カリウムの制限も無いとの事。

夜、ひろくんから電話がくる。

「あのねえ。おれ、0点とっちった」

2週間前、国語で90点とって大喜びだったのもつかのま、今度は算数で0点だ。なかなか気の抜けないひろくんである。

私の小学校の時とだいぶ違い、2年生に割算、かけ算をやるので、その準備の為、応用問題がもうでてるらしい。

文章を理解した上で、計算もこなせなければならない。

とりあえず、「今度がんばろうねっっ」と一言。


3/18(Sat)

朝、5時30分に電話で起こされる。

何事かと飛び起きれば、電話の主は、私の妹の旦那さんからだった。

「破水して、予定日より早いけど、無事産まれました。子供は未熟児ですが、御心配なく。」

妹のY子は、9月末にひろたかを連れてきてくれた。その時も、「眠い眠い」とひたすら寝ていた。時差ボケがひどいねと、パパも心配していたが。つわりの一つに眠いというのがあるらしい。

渡米中は妊娠初期だったわけだ。

なんだか興奮して眠れなくなってしまった。昨日まで妊娠9ヶ月の体で、来月出産予定だった。それが、もうお腹がぺちゃんこになってるらしい。

今の時代、医療も進歩し、未熟児の生存率も高いと聞く。2100グラムと小さいが、4つ子などは1000グラム以下で生まれる事もあり、元気に育っていると聞く。

なるべく心配しないようにして、とにかく、実家に電話し、聞き忘れた男の子か女の子か、母に聞く。

母はかなり嬉しそうに「女の子だよ」と教えてくれた。

ひろくん!君の弟子ができたよ!


3/19(Sun)

昨日は朝から興奮して寝れなかったが、今日もその状態のまま。パパと二人で話す事は、まだ見ぬ赤ちゃんのこと。

(ほとんんど私が一方的に話しているんだけど)

ひろくんにも電話で手短に話したが、「あっそう」の一言で終わってしまった……。

なにか、複雑な心境なのだろうか。


3/20(Mon)

明日胃カメラなので、丸橋先生に伝えておく。

回診のある時間なので、来てもらえそうにないが、アメリカでの3回目の胃カメラ。だいたいの様子はわかる。


3/21(Tue)

朝9:30に受け付けを済ませ、待ち合い室で待つ。

この間、私にはやらなくてはならないことが………。毎度お騒がせの、問診表だ。いつもいつも、同じ事を書かされ、だいぶ慣れた。

….というか、同じ用紙を貰って、家で訳し、答を書いてある紙を、入院時も胃カメラの時も持ち歩いているのだ。

「ミスターハグイウワラア~」

病院に着いた時点で借りた車イスで、診察室へと移動。まずは着替えを始める。

更衣室に手術用の頭にかぶる帽子みたいなのが置いてあり、パパはすかさずかぶる。

ところが、ナースさんが来て苦笑いをしながら、「それは、足にはくものなのよ」と教えてくれた。

本人はまじめだった。

でも、私は大爆笑してしまい、パパの機嫌を少しそこなってしまった….。

今日は4箇所処置をした。家に着いてからも、痲酔がきれてないらしく、しばらくフラフラ。薬も、結局夕方まで飲めなかった。


3/22(Wed)

夜。テレビをふと見ると、右上の画面に赤字でTomato watchと表示がしてある。

「トマトを見る?なんじゃそりゃっっ??」と不思議に思い、

画面に近付きよ~く見ると、Trnado watchだった。

「ああ、トルネードね……ええ??!」

それからはしばらく画面にくぎづけ。2つ隣の市のあたりに、警報がでているらしい。

その市のあたりは一つの線を境に、温度差がえらく違う。

2つ隣と聞くと、とても近いような感じがするが、ここはアメリカ。

距離はかなりあるらしく、外にでて、様子を伺ってみてもシ~ンとしてて、星も見える。

パパはだいぶ胃の違和感もとれ、栄養剤もなんとか飲めてた。歩くのも昨日ほどのフラフラは無いみたいだ。

ただ、4度の薬の時間になるたび辛い顔をする。


3/23(Thu)

アパートのエレベーターが壊れたらしく、10人ほどの作業員が集まって何やら悩んでいる。

「やっぱりねえ….」

なにがやっぱりかというと、私もパパも何回か閉じ込められた事があるからだ。

そのたびに、なんとかドアをこじ開け脱出できてたが、今日はパトカーも来てたから、だれか閉じ込められっぱなしになってたのかもしれないな。

まだ3階までのエレベーターだからいいけど、いつも入院するロバーツ病院なんか17階まである。

移植者専用アパートなのだから、心臓移植者が閉じ込められたら危険きわまりないのに。

もう少し、点検をしてほしいところだ。


3/24(Fri)

何事も無い日。

そろそろ由美子は退院できただろうか……..。


3/28(Tue)

クリッピン先生の診察の日。

何故か今日は、看護婦の人が通訳の電話を頼んでしまった。

先生は診察室に入るなり、そんなの必要無いよと断わる。だいたい聞く事は一緒だし、先生も辞書を引きながらじっくり話してくれる。

(しかも、とても分かりやすい単語で)

だから、通訳は必要無いというわけだ。

もちろん、丸橋先生の場合は違う。

丸橋先生が来てくれる時は、私達が安心できることをクリッピン先生はよくわかってくれてる。

今日から新しいラクツロースに変わった。味が従来の物よりだいぶ良いらしい。

1日に飲む4回の薬が辛いと先生に言うと、「I see….」と、申し訳なさそうに答えてた。


3/29(Wed)

昨日もらった新しいラクツロースの飲み方が、いまいち理解できず、コーデイネーターの人に確認するが、知らない薬だと言われてしまう。

これは、新薬で、サンプルらしく、まだ薬局においてないのだ。

仕方ないので丸橋先生に電話して確認してもらう。丁度、クリッピン先生に会ったとのことで、すぐ確認できた。

薬の飲み方はわかった。ところが、今度はすぐ無くなる可能性がでてきた。

しかも病院が休みの土曜日頃に……..。

もう一度コーデイネーターにメールで連絡。

「I want to NEW LACTULOSE soon!!」

そのメールをだした直後に、急に空が曇りだし、雷が鳴り始めたのでテレビをつける。

なんと、トルネード警報、雷警報、洪水警報まででてる。

パソコンのコードを抜き、ずっとやってた臨時放送を見てた。

以前ヘリングさんが、

「滅多に来ないですよ。特にダウンタウンには。」と言ってた竜巻が、フォートウオースのダウンタウンに直撃し、死者がでたと言っている。

しかも、テレビ画面上に「トルネード警報=ダラス」とでてる。しばらくの間、雷と雨はひどかったが、竜巻は来なかった。

夕方6時~夜中の12時までテレビでは竜巻の情報だけ流していたが、被害にあったビルを見て改めてゾッとしてしまった。

滅多に降らない雪、ゴルフボール大の雹、そして30年ぶりの竜巻警報。ダラスの異常気象を3つも体験してしまった。


3/30(Thu)

ヘリングさんが、いつものようにお話をしにきてくれる。

昨日郵便で、移民滞在届けが送り返されてきた。

少し不明な点もあったので、INSという移民局に電話をかけてもらう。ところが、ずっと話し中で、他の番号を調べてかけてはみたものの、すべてコンピューターのガイダンスで、人間がでる気配がしない。

こういう所は、日本の役所と似てるなあと思った。

以前ビザをとる際、このコンピューターガイダンスで嫌な思いをしたからだ。

○○の係は何番、○○の件でおかけの方は何番とボタンを押すが、結局、その場で解決するようなことがない。

やはり解決しないまま、土曜日にAさん(大学生)が来るのでその時お願いすることにした。


3/31(Fri)

朝、ベイラー歯科に研修に来ているEさんとSさんが、アパートに来てくれた。

研修期間が終わり、Sさんは来週、Eさんは4月中に帰国してしまうのだ。何か、必要なものがあれば……..と、おもちが手軽に焼けるようにトースターを持ってきてくれた。

それと、パパの口の中が乾くので、薬用の歯磨き粉も頂いた。ベイラーの歯科なので、移植患者の口の中の疾患も詳しい。例えばパパが帰国後、ちょっと歯が痛いからなどと、普通の歯科に行き、

「私は、移植患者で、免役抑制剤を飲んでます」と告げても、

多分、歯医者さんには移植患者の知識は無いのではないだろうか。あまり詳しく調べたわけではないけど……。

「帰国後も、何かお困りの事があれば気軽に連絡してください」と、言ってくれた。

これは、とても心強い。

夜、アリスンさんが、友だちと一緒に様子を見に来てくれた。お寿司を片手に…….。

アリスンさんは大のお寿司好き。わさびもたっぷりつけて食べる。もう一人の友だちも悲鳴をあげながら、わさび入りのお寿司を「おいしい、おいしい」と食べている。

パパは、昼間に栄養剤を飲まずにいたので、なんとか3~4個口にすることができた。

パパと二人で、みぶり手ぶりで「わさび」について説明する。今日のパパは、すばらしく英語がしゃべれてた。

アリスンさんは、パパが考えながら一生懸命話しているのを見て、とても嬉しそうだ。

そんなアリスンさんも、来月には、イタリアへ行ってしまう。