2000年2月 肝性脳症

注意
これは2000年の日記のため、情報が古いです。また、医療情報についても素人患者の闘病記です。ご自身の健康に関しては、医療機関に相談してください。

ここから妻の日記↓

2/1(Thu)

あんこさんから『例のブツ』が届く。大きい箱の割には重みが…….あっ!もしや!!

千羽鶴を見ると思い出す。家族3人で足利のお父さんの為に鶴を折った事を。阿佐ヶ谷のあの狭いアパートで、それこそ夕御飯のカレーがつきそうになりながらひろくんも一緒に折ったんだっけ。

でもほとんどはパパひとりが頑張ってた。

だから「千羽鶴」の大変さはパパが良くわかっている。それだけにパパは嬉しそうにしてた。記念にと、写真まで写して……。

この部屋にはもうニつ頂いた千羽鶴があって、三つ並べて飾ってある。

窓につるしてあるが、夕方日が暮れる頃に見るととても綺麗。

全部ひとつひとつ丁寧に折ってある。


2/2(Wed)

そろそろ腹水がリバウンドしてきた感じ。まだ我慢できるようなので、なんとか自分で調整してほしい。抜いた時はスッキリするが、次の日は倦怠感に襲われる。

食欲は…..やはりまったくないらしい。

エンシュア(栄養剤)とラクツロース(薬)がパパの命をつないでくれている。


2/3(Thu)

ボトルが大きい上に中身が見えない為気が付かなかったが、ラクツロース(薬)が土曜日くらいに無くなる恐れがでてきた。

早速ブレンダさんにメールで連絡。

I want to LACTULOSE.

ところが夜になってもメールが来ない。ブレンダさんは忙しい人なので、(メール見てないのかな…..)と少し不安になる。


2/4(Fri)

起きてすぐにブレンダさんからのメールを確認。

I will call to BNCM pharmacy. Hope you doing well.

良かった……。

電話を入れても薬ができるまで時間がかかるので、午後2時頃に行く。途中、ロバーツでアリスンさんに久しぶりに会う。

Nice to see you!!

ここの所風邪で体調が悪い上に忙しくてメールがだせなくて…..と話してくれた。

さあ、ファーマシーへ!と意気込んでいったのに…….

No callと言われてしまった。

(えええ??Hagiwaraですよっ?英語の話せない…..)

Why?と首をかしげながらブレンダさんのオフィスにいくと彼女は居なく、あせった私はクリッピン先生のオフィスを訪ねた。

受付のおばあちゃんは良く知ってるはずなのに、(名前は?担当は?)と聞いてくるもんで、急に冷たくされてる気分になってしまい、少しはんべそをかいてしまった。

(今日でパパの命の薬がなくなるんですよ!明日はファーマシーもブレンダさんもクリッピン先生もお休みでしょ!?)

すっかり被害妄想的になってしまっている。(今思うと)

悔し涙ってどうしてこう止まらないんだろ。家に一旦もどり連絡を待つ。

トウルルルル~♪

ブレンダさんからだ。

ブレンダさん~You can go to pharmacy. I called sometimeago.

声が咳切っている。

(よっぽど忙しかったんだな。)

私~Thank you very much!

大慌てした自分を反省し、ファマシーが閉まりそうだったので、駆け足で向かった。

(でも…………..やっぱりなんかしっくりこないな。)

案外根に持つタイプなのかも。私。


2/5(Sat)

今日もお風呂を沸かして、のんびりつかるパパ。

上がった後に1杯のカルピスを飲む。が、薬の時間になったのでラクツロースと薬を大目の水で飲む。

あっという間に夕御飯になるが食欲がわかないので、エンシュア(栄養ドリンク)を飲む。

腹水がたまるから胃が圧迫されて食欲がわかない。

かといって水分制限だ!と、栄養ドリンクをやめて、食事だけでカロリーをとろうとすると、胃がムカツイて吐いてしまう。

やっぱり定期的に抜いてもらうしかないんだろうか……。

なんて考えてたら夜にパパが何回も吐いた。ドキドキしながら嘔吐物を見ると、血はでてない。

(ほっ)

吐いた後、脳症がでることもなく、すっきりしたらしい。

先週から抗生剤の薬がひとつ増えた。2日に1回服用で飲む時はコップ1杯の水を必ず飲む、その後もその日のうちにもう1杯飲まなければいけない。

かなり強い薬なのだろうか。

多分胃に負担をかけないように大目の水を飲まなければいけないんだろうけど、そのせいの吐き気だとしたら、随分強い副作用だ。

エンシュアがうまく消化されなかったせいだとは思うンだけど……。


2/6(Sun)

今朝ひろくんから電話があったのに、起きれず夕方掛け直す。

「はなまる富士山とったんだよ~」と得意げ。

「あとね、ママ縄跳びできる??二重飛びとか。それと鉄棒」

私はマラソンとか球技は好きだったが、いわゆる機械体操はニガテだった。

「う~ん。ママは交差する縄跳びならできるけど?」

「僕もできるもんっっっ!」

団体生活にだいぶなじんできたのはいいけど、どうやら対抗意識が強くなったらしい。

パパがいじけてるので(笑)電話を交替。

明日の朝は検査の為早めに寝る。起床予定5時30分。不安なので、小百合ちゃんにモーニングコールをお願いした。

(こういう時は時差は助かるなあ。)


2/7(Mon)

モーニングコールで目がさめる。

夕べは何回か目が覚めて、熟睡できなかった。でもすくっと起きてパッパっと支度をしてる自分に驚いてしまった。

いつもの様に車を呼ぶ。

受け付けにてまどるかな?と思っていたが、問診を書くことも無く、名前だけ聞かれまつこと15分。

「Mr.ハグウイウワロア」←と聞こえる。

今日の検査はいわゆるエコー。にゅるっとした糊みたいなのをお腹につけられ、パパはくすぐったそう。

画像はもちろん見えるが、何がなんだか白黒でわからない。

たまに血流の音が流れ、それを左手でチェックしながら、右手でマウスのようなものを患部にあて画像をにらみつけてるナースさん。

(器用だなあ。)

暗い部屋の中。

寝不足の私は急激に眠くなってきたので、なにか考える事にした。

~以下考えてた内容

このエコーは私もやったことはあるんだよなあ。ひろくんがお腹にいるとき。血流でなく、心音を聞いた。

「頭おっきいなあ~」

と、検診のたびに思ってたら、実際も大きかったけど。

それをプリントしてもらい、まだ、大事にとってある。私の場合”へその緒”を見せてもらったけど、ひろくんの場合は”お腹の中にいたときの写真!”だ。

1回見せたけど、ぴんとこなかったらしい。

成人になってからもう一度みせようかな?

「Ok,finish!」

(助かった。あと五分もいれば、完璧に寝るとこだった)

検査の後採血を済ませ、カフェテリアで派手なコーンフレークをお土産に帰る。

お昼。

アパートの車でアルバーソンへ。

同乗車1名。(運転手除く)

何回か会ったことのあるおばあちゃん。

こちらに来てどれくらい経つの?と聞かれ6ヶ月と答えた。

「long,long time wetting…..」

と返事をしてくれた複雑な顔をしたおばあちゃんの顔がなんともいえなかった。


2/8(Tue)

ひろくんへの手紙をだすためベイラー内にある郵便局へ行く。かなりたくさんの枚数になったので、60セントじゃ足りなそうだったから。

今日はなんだか日射しが強く外出時はTシャツでOKなほど。

ベランダで椅子に腰掛け、ドーナツを食べてたら向いの屋根にいるハトと目が合った。

どうも、ドーナツが気になるらしい。

向こうの屋根に投げれれないので、少しちぎってこちらのベランダの中に落としてみた。

パタパタと飛んできたけど、柵にとまったまま私の様子を伺ってる。結局食べずに右隣のベランダに飛んでいってしまった。

でもやっぱりこちらを見てる。

(明日の朝にはなくなっているだろうな。)

パパは夕べ寝れなかったらしく、今日は昼間はずっと寝ていた。少し脳症がでているんだろうか。

ボーッとしているのが寝不足のせいなのか、それとも脳症レベル1なのか、わからない。

便はよくでているようだし….。

食欲はないが、エンシュアを3本きっちり飲んでた。

「体力、体力。体力つけなきゃな。」

後は少し動くようにすれば、もっと夜寝れるようになると思うんだけど、腹水のせいで体が重く、重力が気になる程足に負担がかかるらしい。

妊婦さんだったら、それなりに足に筋肉がついてるからいいけど、パパの場合は辛いだろうなあ。

特に腕が私よりも細くて筋肉がほとんど無い感じ。歩いている時少しの段差もつまづいてしまう。

早く順番が回ってきて、無事手術が終わって、とにかく御飯をおいしく食べれたらほんとに良いと思う。

当たり前の事なんだけど、それが今のパパにとって一番の欲求なんじゃないかな。


2/9(Wed)

昨日、脳症がでてたかな?と思っていたがやはりそう。お昼過ぎにフラフラし始め、床に寝転がり、自力で立てなくなってしまう。

丸橋先生に連絡し、ERへ行くように指示された。

救急車で運ばれる間、「ちょっと!ちょっと!」と抵抗。

ERで4時間程待機したあと、7階へ移る。

意識が無いのでてっきりICUかと思っていたが、今日は一般病棟。前回も前々回も、ICUは24時間体勢でナースさんが見ててくれてた。その分私は休めたし、安心できた。ところが今度は意識が無い状態での普通の個室。

………….精神的にきつかった。

とにかく意識が戻り始める頃のパパは手におえない。

水、氷りが欲しいと言われダメと言うと、般若の面の様にしかめっ面をする。

「あつい~あつい~あつい~……あついっって!!」

「もうダメだ、もうダメだ、もうダメだ……..」

「ごめん、ごめん、ごめん、ごめんんんん~~」

痴呆症にそっくりなのだ。

尿に管は入っているが、便の方は緩すぎる為もれてしまうので、紙オムツをはかせている。

しかし、オムツなんて用をなさない。

ラクツロース(下剤)を大量に服用の為、すさまじい量の便(ほぼ液体)がでる。

替えてもすぐ濡れてしまう。

だいたい30分ごとに起きて、一人事を言いそのたびに私はビクビクしていた。


2/10(Thu)

夜中じゅう、オムツを交換し「寒い寒い」を連発。すっきりしたところでまた寝る。この繰り返しが朝まで続き、さすがに私も気が狂いそうになってしまう。

(少し寝なくちゃ)

ナースさんにお願いし仮眠をとりに家に戻る。

心配して小百合ちゃんが連絡してくれたので、状況を説明。先日の検査の結果も腫瘍の疑いは無いとのことも伝える。

ただ、腎機能がまた低下しはじめたらしい。

今回こちらにきて3回目になる昏睡。腎機能の低下。とにかく、ここが頑張りどころだ。


2/11(Fri)

ラクツロースで頭の中はかなりすっきりしてきたが、貧血がひどいので、また輸血をする事になった。今回は3単位。最近は輸血をした後の拒絶反応はでない。

熱も無く、安心していた矢先、夜中パパが「ふみえ!ふみえ!」と起こす。

血便がでたらしい。黒い血ではなく、鮮血。静脈瘤による痔の出血だろうか?

ナースを呼んでいる間、今度は鼻血がでてきた。


2/12(Sat)

ゆうべの出血の原因を調べる為、検査をする事になった。

下部消化管内視鏡検査。

内視鏡のスコープを、お尻からいれて、大腸の中を直接観察するテストだ。パパは途中でギブアップ寸前。

あまりの痛みに、麻酔から覚めたといっていた。

検査結果は、腸内のただれによる小さい血のかたまりからの出血。血小板が低い為らしく、投与する事になった。

唇の荒れの出血も、これでだいぶよくなるだろう。


2/13(Sun)

昨日は3単位、今日も3単位の血小板投与。

本当にこちらの治療は極端すぎる。でも、とても効きそうなきがするけど……。

とにかくパパはいつもと同じ早くアパートに戻りたがっている。

明日の朝、クリッピン先生から「Go to twice Blessed House」

という一言がでればいいなあ。


2/14(Mon)

こちらは、愛の告白というより、「バレンタインおめでとう!」と、いうかんじ。アパートの管理人さんも挨拶程度にハッピーバレンタインと言ってた。

パパの腹水が、点滴を大量に入れている為息が苦しい程になっている。クリッピン先生に連絡してもらい、抜くことになった。

いとも簡単にクリッピン先生は一人で針を差し、抜いていた。(No pain)

しゅるしゅるしゅる~と瓶の中に黄色い腹水が吸い込まれていく。結局6リットルにもなってしまった。これでは食欲もでないはずだ。

抜いた後は極端に栄養を取られてしまうので、声がか細くなる。

気になる退院は1~2日後とのこと。

明日に期待しながら、今日はがまんがまん。


2/15(Tue)

朝、クリッピン先生が回診にくる。明日、もう1回大腸内視鏡検査をし、OKであればGo home。

点滴は終わり、昼から食事が流動食みたいなものに変わった。

夕方、下剤を飲む。極度の腹痛。腸をきれいにする為だ。2時間程トイレを行ったり来たり。なるほど、薬を飲む時ナースが笑いながら

「Go bathroom!Ha Ha Ha!」

と言った意味が分かった。

腕の内出血と足の痛みで、トイレの行き来が辛そうだ。


2/16(Wed)

午前中、下部消化管内視鏡検査。

「痛くていやだな」

ブツブツ言いながら、部屋からでていく。しかし帰ってきたときは、スヤスヤ気持ちようさそうに寝ている。

今回は、急な検査ではなく、前日の夜から腸の中をキレイにしていたので痛みがなかったようだ。それとも、かなりの麻酔を入れたか。

とにかく検査結果も良好で退院がきまる。

夕方、パパと一緒にアパートへ帰宅。外は春を感じる暖かさだった。

ここまで妻の日記


2月19日(土)

久しぶりに日記を書く。しかも、それだけじゃない。3ヶ月ぶりに外出する。

妻が、ありさちゃんの車に乗って、郊外の日本食料品店へ買い物にいく。それについて行ったのだ。

日本の食料品を眺めるのも気分転換になるし。それに、独りで部屋にポツリといるのが恐いのだ。

日本の食料品店は3軒ある。

渡米したばかりの時、野村さんにつれていってもらった。『Kazy’s』。そして『江戸屋』。そして今回いった『福屋』。

この店はすごい。

品揃えは一番なのだが、賞味期限切れの商品も一番だ。そして店内の棚に、こう書かれた紙が貼ってある。

『私達家族はこれを食べてます。でも大丈夫!!』


2月20日(日)

ドクター丸橋夫妻が、任天堂64を持って遊びに来てくれる。しかも、それだけじゃない。たこ焼きセット持参だ。マリオカートで先生と勝負。

惨敗、、、、、。

(‥‥そうか、先生は外科医だし、指先が器用なんだ。)

心の中でつぶやいて、自分を慰める。

妻と丸橋婦人(通称みやちゃん)が、たこ焼きが焼けたと持ってくる。

「うまい。でもお腹は一杯……..。」

3個が限界だった。

愉快な一時を過ごした日曜日だった。


2月22日(火)

昼過ぎまで寝る。

午後アリソンさんが来訪。少しおしゃべり。

アリソンさん帰ったあと、また寝る。

薬とトイレ以外はずっと寝ている。

少し脳症の初期症状っぽい。

ラクツロースの量を少し増やす。

以上、萩原正人の日記。


ここから妻の日記↓

2/23(Wed)

ラクツロースのおかげか、だいぶ便の出が良くなってる気がする。脳症の方もおさまっている感じ。でも、眠い症状は変わり無く、風呂に入るとすぐだるくなり、眠くなってしまう。

なんとか食べなければと思い、フルーツを無理矢理食べさせる。それでも、2~3口で満腹になるという。

無理に食べると吐いてしまうから、無理強いできないんだんなあ。


2/24(Thu)

朝9時から、クリッピン先生の診察。今日は丸橋先生が来てくれた。少し遅れてクリッピン先生が診察室に来た。パパのお腹を見てすぐ、

「ドレーン、プシュー」と一言。

それほど息が苦しかったわけでないので、まさか今日抜くとは思わなかったパパ。

「え?」って顔してる。

丸橋先生とクリッピン先生が野球の話で盛り上がっている。多分パパの気を少しでもまぎらわせてくれようとしているのだろう。

痲酔をする時だけパパの顔が歪む。

6.9リットル。

10日前に6リットル抜いたばかりなのに、更に6.9リットル。

今までで、最高の量だ。

パパのお腹が普通のお腹に……..。

帰るときやはりバランスが悪いのかフラフラしている。

これで、少しでも食欲がでてくれるといいのだけど。

ここまで妻の日記


2月25日(金)

夜、トイレで吐く。ここにきて体調が良く無いらしい。

そういえば、前回の血液検査の結果、腎臓機能がいちじるしく低下しているとのこと。

とても心配だ。

夜中天井からドスンバタンと異常な物音。

何事かと妻が外へでてみると、なんと巨大な雹(ひょう)が降っている。大きさにしてテニスボールサイズ。ここのところ春の嵐が続いている。


2月26日(土)

広空と電話で話す。

「あのさあ。オレさあ。3月の春休みにアメリカ行けるよねえ」

「う、うん。行けるよ」

と気軽に返事はしてみたものの、そう簡単に事が進まないのが大人の社会。皆それぞれ仕事を抱え、そのスキをみて救う会の活動をしてくれているのだ。

広空を連れてアメリカに来るなら、仕事を1週間やすまなければならない。それにあまりムダ使いもできない。

会いたいのに会えない。そんな心の痛みもあるんだよ、広空くん。君は、まあ、恋すればわかるよ。

(ちょっと違うかなあ)

夜、また吐く。


ここから妻の日記↓

2/27(Sun)

ここの所、夜寝る時になると吐いてしまう。

布団を頭からすっぷりかぶり、吐き気を我慢して『ウ~、ウ~』と唸る。

気持悪ければ、吐けばいいのだが、せっかく飲んだ栄養剤、薬がでてしまうのが困る。

コーデイネータのブレンダさんにメールを打つ。


2/28(Mon)

パパの腎機能がまたしても低下。かなり悪くなっているらしい。


2/29(Tue)

朝、丸橋先生から連絡。

ブレンダさんに、メールの内容がうまく伝わらなかったようで、詳しい事を丸橋先生に聞いてきたそうだ。

吐き気はだいぶおさまってきたので、もう少し様子を見て、またひどいようなら連絡することに。

クリッピン先生の話だと、この「吐き気」はパパの今の状態だと仕方ないらしい。ただ、脱水が恐いので、水分はとるようにとのこと。