7/4(火)独立記念日
今日はアメリカの独立記念日、インディペンデンスデー。
そこかしこで式典やらパレードが行われている。
我々も参加したかったが、誰からもお誘いが無い。
あたりまえか、日本人なんだから。
夜になると花火だ。祝いの花火がダラスの夜空を染めている。
二人だけで屋上に見学にいくかと出かけた。
それが、行って、みてみてビックリ!
そこはなんと、パーティ会場になっていた。
患者さんと、その家族での持ち寄りパーティ。
親しい患者さんのサリーちゃん(推定年令40代)が、オレ達夫婦
を招き入れてくれた。
始めて話す患者さん達。そして、その子供達とも親しくなった。
楽しい時間が過ぎ、次回のコミユニティーサパーで会いましょうと
言って別れた。
このコミユニティーサパーとは、ボランティアの人が企画する、
患者さん同士のコミュニケーショのための夕食会だ。夕方の5時30分、毎週木曜日におこなわれている。
その夕食会に出席すると約束したのだ。
7/6(木)
コミユニティーサパー。
親しくなった子供達と再会。
アレックスというスパニッシュ系の少年(9才)とケンタッキー州
からきた兄弟だ。兄(12才)弟(10才)
ピカチューの話しで盛り上がる。
妻は子供達としっかり会話していたが、オレは簡単な英語と「ピカ
チュー」だけでその場をしのいだ。
夕食後、部屋でくつろいでいると部屋を叩く音がする。
さっきの少年達、アレックスとケンタッキーの弟の方だ。
なんだか乱入といったおもむきで、大騒ぎ。
アレックスが「シシミ」「シシミ!」と騒いでいる。
刺身のことかと聞いてみるが、違うらしい。
もうわけがわからないので、アレックスに英和辞書を渡し、どの単語か見つけてもらうことにした。
すると、横から妻がオレに言う。
「シシミってさ、ポケモンなんじゃない?」
なるほど、そうかも知れない。
ケンタッキーの少年に聞いてみる。
すると、彼は声だして笑いながらうなずいた。
そんなもの辞書にのってるわけがない。
アレックスを見れば困った顔をして、こちらを見ている。
結局彼等は、一本のおもちゃの刀(10センチ位の長さで、鉄で作られている)を手に入れて帰っていった。
それは、息子が見舞いに来た時、忘れていったおもちゃだ。
(息子には事後承諾していただいた)
二人は喜びながら、部屋を出ていった。そして、、、、、、、。
しばらくすると、又激しくドアを叩く音がする。
予想はついたが、、、彼等だった。
アレックスが口を突き出しながら、オレに聞く。
「この刀は、自分か?それともケンタッキーの弟にあげたのか?」
うっ、、、。心配していた事体が起きてしまった。
今回はケンタッキーの兄も、付き添い人にやってきた。
一つのおもちゃに二人の子供。
こうなることは予想できた。
解決策を求める三人の子供の目、そして、それ見たことかと呆れる
妻の目。うーっどうしよう?、脳みそフル回転である。
そして出てきたアイデアが「二人で仲良く遊んでね」
妻が後ろでため息をついている。
こんな解答では、この後どうなるかは目に見えている。
案の定、夜になって遊び疲れたアレックスがやってきた。
「とられちゃった」
よしわかった!日本に帰ったら新しいおもちゃの刀を送ってあげ
ようじゃないか。
彼は大いに喜んだ。そして、「How many?」
一本だよ!
7/8(土)
狼の映像を見に行く。
患者バスでボランティアの人が連れていってくれる。
半球体の大きなビッグスクリーンに野生の狼が映しだされる。
オレの隣に座るのは、ケンタッキー弟。今日は両親がきていない。
それを良いことに、はしゃぎまくる。
アレックスはといえば、さっきまで一緒にはしゃいでいたが、父親に叱られ隣の席に座らせられている。アレックス身動きとれず。
7/11(火)
ダウンタウンにある、ケネディ記念館にでかける。
ダウンタウンまではバス、そこからは歩きだ。
確か教科書倉庫と呼ばれるビルの6Fだった気がする。
外は猛暑だ、35度など平気で越してるだろう。
とにかく、キーワードは6Fだ。
テレビで見かけたことあるような風景。
「多分、、この辺にあるビルなんだけどな~」と迷子の二人。
とりあえず色々なビルに入ってみる。
そしてロビーにある、案内パネルを見る。
「あれっ、このビル6Fがない」
外に出てみれば4F建てだ。
裁判所にも迷いこんでしまった。手錠を掛けられた黒人の少年が
立っていた。(ホントだよ)
かなり迷って見つけた頃には、オレの体力は尽き果てていた。
最後の気力で記念館を見て周る。
ケネディの暗殺から、御葬式までの映像をみたが、周りのアメリカ人は泣いていた。
7/12(水)
歩いてベイラーまで行く。
今日は外来でもなければ、誰かに会う約束もない。
何をしにいくのか?
改めて自分が元気になっていくのを実感する。
レンタルしていた車椅子を返しにいくのだ。
誰も乗っていない車椅子をカラカラ押していく。
妻が言う。
「あたしが、そこに乗ろうか?」
「ああ、いいよ」とオレ。
妻の乗った車椅子を押し出す。
うっ、、、、固まったままの車椅子。
まだそこまでの体力はなかった。
7/14(金)
外来。
Drサンチェス。
データは相変わらず良好。
痛みも、薬を飲むほどではない。
体力もかなりついてきた。
食欲も上り調子。
極めてFeeling good。
7/17(月)
今日はみやちゃん(丸橋先生の奥様)の出産前祝い。
元気な赤ちゃんを産んでねと、みんなで励まそうという企画。
企画立案者は、吉村さんと山口さん。
吉村さんは、丸橋夫妻の住むマンションに住んでいる、仲の良い御近所さんだ。そして、このマンションの1Fにオフィスを構えてい
るのが山口夫妻。
我々も招かれて参加した。
このパーティの事は、みやちゃんには内緒だった。
吉村さんと、お昼を一緒にとる。彼女は、ただそれだけのことだと思っている。
もちろん丸橋先生にも内緒だ。
ほんとはお昼に抜けてきてもらうつもりだったが、残念なことに手術がはいってしまったらしい。
会場はマンションにあるミーティングルーム。
ケーキを中央に、豪華な和食料理がならぶ。
ほんとに、食欲が戻ってきていて良かったと思う。
出席者数およそ20人、全員日本人。
みんなが、みやちゃんにプレゼントを用意している。
さて、準備ができたところで、何も知らないみやちゃんの登場だ。
ガラス越しに彼女が、こちらに歩いて来るのがわかる。
そして、みやちゃんが会場に入ってきた。
一瞬の静寂につつまれる、
目をキョトンとしたみやちゃん、
妻が話しかける、
「こんにちは、元気?」
「あらやだ、こんなところで何してんの?ハギちゃん」
何してんのではない、お祝にきているのだ。
そして愉快なランチが始まった。ゆっくりと時間をかけ、会話を楽しみながら。
また、和食料理がとにかくうまかった。
生きてることは、美味しいことだと一つきづいた。
みやちゃんの出産予定日は8/5。
うちらの帰国予定日は8/3。
すれ違っちゃうけど、元気なおこさんが産まれることを祈ってます。
7/21(金)
今日は週に一度の外来診療。
患者さんたちが待ち合い室に大勢いる。
その中にアレックス発見。
彼がこちらに走り寄る。
今日はケンタッキー兄弟が見当たらない。どうしたの?と聞けば、
お母さんが元気に退院し、一緒にケンタッキーに帰ったそうだ。
朗報を聞いた。もうすぐオレも「あの日本人はどうした、最近見かけないな」と言われる存在になるだろう。
アレックスにケンタッキーの兄弟も患者アパートの住人だ。
出会ったときのケンタッキー少年、彼等は屈託のない幸せそうな笑
顔をしていた。
アレックスもそうだ、とてもヤンチャで天真爛漫な子供だ。
彼等に共通していえるのはなにか。
先日まで、お父さん(お母さん)が死んじゃうかも知れないと心配していた事。そして、それが今ではお父さんやお母さんは、
すっかり元気になった事。
「もう大丈夫なんだ!!」
彼等の笑顔は、そんな安心からきているのだろう。
話しは戻る。今日の外来にアレックスは、新しい友だちと来ていた。名前はブレイク君、お父さんが移植後の患者だ。
おとなしく賢そうな少年で、日本にとても興味があるらしい。
診察後のお昼すぎに彼等と漢字で遊ぶ。
今アメリカでは漢字が『it’s cool !』(かっこいい!)なのだ。
彼等は漢字で自分の名前を書いて欲しいと言う。
「OKわかった、まかせなさい」
ジャーン!『亜霊苦須』
、、、あっ間違えた、霊が苦しんでは可哀相だ、
『亜礼久須』と書いてあげる。
そして、『武麗九』。この九というのは数字の9だよと教えてあげ
る。
するとブレイクが大喜び。
「あのた達は僕が9才ということを知ってたんだね」
いや、たんなる偶然なんだけど、、、、、。
そおいう事にしておいた。
ブレイクが言う。
「パパとママの名前も書いて欲しいんだ、クリスティとキネス」
『久梨須茶』に『木根須』
オレが書いてあげた漢字を見ながら、自分で一生懸命漢字を書いている。
『久梨須茶、木根須、武麗九』親子3人の名前だ。上手に書けている。そして、
「日本語でパパはなんていうの?ママは?」
ブレイクが訪ねる。
「お父さん、お母さんって言うんだよ」と教えてあげる。
「オトサン、オカサン?」
「そうだよ、上手だね」
「じゃあ、サンキュウは?」
「それは『ありがとう』だよ」
「アリガト、オトサンオカサン、アリガト。オトサンオカサンアリガト。オトサンオカサンアリガト」
彼は呪文のように、教えてあげた日本語をつぶやいていた。
そして突然、僕は家に帰ると、自分で書いた親子3人の名前をもって、両親の部屋へ駆け戻っていった。
オレは知っている。彼のお父さんは移植後に強い拒絶反応がでてしまい、今では再移植が決定してしまった。
そしてまた、あの恐ろしい待機期間の中にいる。
ブレイクは悲しいし寂しいし不安で心配なんだ。
「オトサン、オカサン、アリガト。三人はいつでも一緒だよ」
「オトサン、オカサン、アリガト」
彼の日本語が耳からはなれない。
7/22(土)
先日、みやちゃんの結婚前パーティでは多くの人に知り合った。
そんな方々の中の一人、石川さんの別邸に招かれる。
案内してくださるのは吉村さん御夫妻だ。
到着したのは、ゴルフ場。オレは産まれて始めてゴルフ場に足を踏み入れた。
そしてこのゴルフ場、なんと石川さんの御主人が個人で手作り(とはいっても、本物)なのだ。
石川さんの御主人は、コンピュータのチップをつくる会社の社長さんで、いわばアメリカで成功した日本人の一人だ。
しかし、規模が違う。広大な土地を買い、自分でゴルフコースからクラブハウスまで設計して、自分だけのゴルフ場をつくってしまっ
たのだから。
ゴルフ好きには、たまらない話しだろう。
このゴルフ場は、最近は経営も始め、安い料金でまわれるそうだ。
この肉体に100%の体力があれば、ゴルフ体験もできるが、今日は見学だけ。
目の前にゴルフ場が広がる別邸でくつろいでいると、丸橋夫妻と、松田夫妻も現れる。
松田さんもドクターで、丸橋先生と大学の同級生。
これもまた素晴らしい偶然だが、松田先生もダラスへ研究にきているのだ。これまたすごい偶然!
奥様がとても可愛いく、二人は新婚2ケ月。
石川家で夕食のバーベキューを御馳走になる。
信じられないほどおいしかった。
石川社長は貫禄ある人で、石川婦人は親切だった。
吉村さんは気がつく人で、なにより頼れる人だ。
そんな旦那さんはNY、ダラス、ガテマラを飛び回るナイスガイ。
笑顔がカッコよかった。
みんな日本を離れ、もう数十年もアメリカで活躍されてる方々だ。
7/25(火)
今週は火曜日が外来の日。
そして、来週の火曜日が最後の外来だそうだ。
ラス前の診療、もちろんデータは好調をキープ、何も問題はない。
体重も増えて、痛みもなく、調子もよい。
今すぐ日本に帰りたいくらいだ。
帰り際Dr. クリッピンに出会う。
お互いに笑顔で挨拶。
しかしオレ達夫婦は知っていた。彼が今週の金曜日にセントルイスの病院に移ってしまうことを。
移植とはチーム医療で様々な人が治療にあたる。
彼はぼくらが移植するまでの内科の担当医だった。
オレの体がどこまで悪いか全て把握している人だ。
彼はできるだけの事をしてくれた、しかし限界がある。壊れた肝臓は修復できずに死へ向かう。
Dr. クリッピンは知っていた。
(ハギワラは死ぬかも知れない)
その死を迎えさせる敵は、現代の科学ではどうすることも
出来なかった。
その敵は時間だった、移植の順番がくるまでハギワラは持たない、
そんな判断は医師の間では常識だったのかも知れない。
移植を受けた4月27日の前日、実はオレの移植の順番は12番だ
った。これは移植コーディネーターに聞いたのだから間違いない。普通なら、ここから後4、5ケ月は待つことになるだろう。
それが28日に移植を受けられたのも、ステータス(移植順番の格付け)があがったからだ。
もうぎりぎりだ、そうDr. Crippinが判断し、移植チームの会議の末ステータスをあげてもらえたのだ。
『ステータス2A、もう一週間もたないだろう』。そんなランクだった。優先的移植者、移植順位1位。
そういえば今、思い出した。
オレは26日に透析を受けた。これが肉体にすごいアタックを加え生きているのが不思議なくらい体力を消耗した。
その時検診にきたDr. クリッピンに、泣きながら弱音をはいてしまったのだ。
「オレはもうだめだ。頑張ったがだめだ。ごめん」
結果の全ては、今ここに、こうして元気にしている自分だ。
だけど、あの時『まだ大丈夫だ』と判断されステータスは変わらず2Bのままだったら、、、、、、、。
実際に、移植を待ちつづけたが、順番がこなくてそのまま亡くなる人は大勢いる。
オレはDr. クリッピンの、ベイラーでの最後の患者だった。
彼は、いつも暗い顔をしているオレを見ては
「スマイル!スマイル!」
と励ましてくれた。
Dr.クリッピン に手書きのサンキューカードを手渡した。
妻が夕べ書いたものだ。
中にはこんなことが、書いてあった
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Dr. Crippinどうもありがとう。
セントルイスでも頑張って下さい。
知っていましたか?
正人はあなたと会うときは、
どんなに気分が悪くても、どんなに調子が良くなくても、
笑顔だけは忘れないように頑張っていました。
そのお陰で、今二人でこうして元気にいられます。
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どうもありがとう。Dr. Crippin。