ここから妻の日記↓
2000/1/1(Sat)
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
初日の出は拝めなかったが、初夢はしっかり見た。
でも人に知らせないほうがいいような事を聞いた憶えがあるので、あえて書かない。
昼間は、ほとんどの時間ひろくんと台所で料理などを作って遊んだ(?)
パパはお昼寝。
小百合ちゃん達は、ダウンタウンを散歩。
今日もいいお天気で、真っ青な空で気持ちが良い。
夜Aさんに明日の打ち合わせをするためメールを出す。
明日はひろくんが帰ってしまうのか………
1/2(Sun)
朝11:30頃、Aさんが迎えに来てくれた。パパは大事をとって玄関前でお見送り。小百合ちゃんの目が潤む。
空港でひろくんに少しのお別れだねと、ほっぺにチュウをしてもらう。
(日本では絶対できない事だ)
今回もやせ我慢のお見送り。ひろくんもきっと同じ気持ちだろう。
帰りにAさんに、日本食料品店が休みなので、韓国マーケットを案内してもらう。
ここは驚く程意外な食べ物が置いてあり、しかも値段もお手頃。日本食料品店は割高なので、これは嬉しい。早速雑煮の為にお餅を買った。そしてパパの大好きなラムネ(ジュース)も購入。
今日の夕飯は少し静かで淋しいかもしれないので、食べ物で気を紛らわす作戦だ。
1/4(Tue)
病院へ行く。
まずは、郵便局へ行きひろくんの忘れ物を日本へ送る。その後、ブレンダさんのオフィスへ行き、大事な診察の予約を済ます。
この間の入院で処方してもらった薬が5日分しかなかったので、残りをファマーシーへもらいに行く。
あっ、またあの日本人!という顔をされたが、ここは地下のファーマシーで(アリソンさんに教えてもらった)1階の薬局よりは、はるかに親切にしてくれる。
事務的な店員さんは居ないで、皆ほとんど白衣を着ている。
妹がクリスマス前に出したはずの荷物がまだ届いてなく、EMS(ネットで追跡調査できるのです)なので、ネットで調べてみると、12/28にここに着いた事になってた。
もしや、下のオフィスに届いているのかな?と思い、テレサさんに聞きに行く。
すると、解らないと言われた。
EMSの説明をうまくできそうにないので、部屋に戻りネットの画面をそのままにして、マック片手に再度聞きに行く。
すると、「OK!!」と、どこかに電話を掛けて調べてくれた。
荷物は案外近い所にあった。同じアパートの敷地内にあるもう一つのオフィスにあった。
地図をもらいテクテク歩いて取りに行く。
(敷地内はかなり広いので、地図をもらった)
ここのオフィスはどこかのスタジオみたいな感じでとてもオシャレ。
待ちにまった荷物をゲットし部屋に戻る。
中には年末のビデオと、「おもち」が入ってた。しかも小さな鏡もちまで……..
1/8(Sat)
I-94の更新の説明をしてもらうため、Aさんに家にきてもらう。
(滞在するのに必要。ビザとは別のもの)
これは、更新しないとアメリカにいられなくなってしまう手続きなので、Aさんにお願いした。
これが、なかなか面倒な書類を書かなくてはいけなく、しかも全文、英語。
不備がないようにと、Aさんが徹夜で調べてくれてた。不足な書類などは、アリソンさんに聞いてみようと、早速電話をかける。
アリソンさんは今日、引っ越し。
家を売って一時実家に住むのだ。あと何ヶ月後かに、イタリアに行く事になっている。
今日は忙しいとは思ったが、要点だけでもと、電話した。Aさんが電話口でアリソンさんと話している。
パパと私はただ、ぽかんと口を開け見てるだけ。
さすがに、Aさんの英語は完璧に近い。それでも電話だけだと心配と、メールを打ってくれた。今度の火曜日に、必要書類と(一応)辞書を持って、アリソンさんのオフィスへレッツゴー。
1/13(Thu)
夕べ3時頃、パパが気持ちが悪いと言い出す。
血は何回か吐いたが、胃から出ていると言う感じで無く、鼻の奥か、喉のあたりから出ている感じで、だ液にまじって出てくる。
コップに吐き出すようにして、朝まで待つ。
9時になってもまだ、吐き気はおさまらないので、丸橋先生にブレンダ(コーディネータ)さんへ連絡をしてもらう。
パパの顔色はかなり悪い。
クリッピン先生の指示で、ERに行く。
すぐ治療が終わると思っていたのに、予想外で入院になる。アンモニア値が高いせいらしい。(肝性脳症)
14階の1404号室。
前回、昏睡になった時、小百合ちゃん達と交替で寝泊まりした部屋だ。
なんとなく、ひろくんが恋しくなる。
1/14(Fri)
パパの状態は安定しており、元気もある。大事にはいたらず、今回はすぐ退院できそうだ。
しかし、わたしの体に異変が。
生理痛と、なにか解らないが、熱が100度近くでた。
体調不良の為帰宅する。
1/15(Sat)
朝、ナースから連絡があり、
「ご主人が、ICUに移っられました」とのこと。
突然の出来事に驚くばかり。
理由を聞く為丸橋先生の家に電話をかける。
「夕べ夜中に、トイレに倒れているところを発見されまして。その後ベットに移動したが、朝痙攣が起こり、そのまま昏睡状態に」
「っっええええええ??今日退院のはずだったのに!!」
今回は4階のICUが開いて無いので、3階のICUに入った。
行ってみると、呼吸器は鼻だけだが、胃に管が入っている。
水分補給の為の点滴の他にもう1本。
1/16(Sun)
朝、丸橋先生の奥様から、
「旦那さんの意識が戻り、今日中には7階の一般病棟に移れる予定だよ!」
と電話があった。
……….良かった。とりあえずは、一安心だ。
ICUに行くとまだ移ってなく、意識はあったが、脳症は入った状態。
いつも意識が戻った時に必ず言う一言。
「のど乾いた。コーラが飲みたい」
さすがにまだ飲めなくて、
「7階に移ってから、なじみの看護婦さんに頼んでみようね。」
と説得。
お尻に入れている管が何回も取れてしまい、便が漏れて、背中の方まで、濡れてしまい、「寒いよ、寒いよ」と訴えている。
そのたびに変えるが、すぐ漏れて同じ事を繰り返す。
看護婦さんは気付いてくれなく、いつも私が覗きに行くと漏れてる。
看護婦さんの対応に少しだけイラだつ。
13:00頃、7階に移るが、個室ではなく、プレICU。
やはりまだ、監視が必要な状態なのだ。
入室時は他に2人居たが、夕方には移動してしまい、パパ一人になってしまった。
ここは面会時間が限られているので、夜は家に帰る。
1/17(Mon)
パパの意識も回復。
病室移る。0710号室。夜は泊まる。
夜中の3時まで、ネットをやりながら、パパの様子を見る。
血尿が濃いのが心配。
1/18(Tue)
ヘリングさんが、お祈りにきてくれる。
困難がたくさんくればくるほど、原石は磨かれるのだ….など、とても良いお話を聞かせてもらう。
ヘリングさんを送りがてら、アリスンさんのオフィスへ寄る。
I-94の書類がまだ揃っていないので、どうなったのか聞きにいったのだが、ミーテイング中だというので、伝言をお願いし、家に一旦戻る。
アリスンさんは経理なので、今丁度忙しい時期なのかもしれない。
病室で寝ると身体中が凝る。凝った所がなんとも言えないイライラを作る。
家のソファーでテレビを見ながら、休み、夜は病室に戻り、夜中までパパと話す。
1/19(Wed)
トイレットペーパーが切れた!大変大変、買いにいかなくては。遠出はできないので、近くのセブンイレブンへ。久しぶりだったので、レジのお兄さんが
「ビ~ン!ビ~ン!」(?)
言ってた。(どうしてたんだい?という事を言ってたのかな)
夜、病室のテレビでは、スーパーステーションというチャンネルで、びっくり人間大集合みたいな番組をやっていた。
ビートたけしの番組(世界丸見え)でアメリカの番組を紹介するものがあるが、まさにそんな感じの番組。
バンジーで、地面に降りる人、左目の癌を取り、喉とつながった穴ができてる人……….
そして、バッタを食べる人達を見てキャーキャー言ってる所へ、クリッピン先生登場。
顔を歪ませて、ウエ~っと言いながらも3人でテレビに見入ってしまった。
肝心の診察は、もちろんしてもらった。明日、変わりがなければ、退院。腹水が減らないなら、ドレ~ンで、抜くとのこと。
(これは、先生にパパがお願いした)
できれば、抜かずに、自然に尿としてでるのが一番なので、明日まで様子をみるんだと思う。
そして、去り際に先生はテレビを見て、
「Japan?」と言ったので(簡単な単語のみ話す先生)、
まさか!と言う感じで、「No!No!」とパパと顔を見合わせて笑った。
でも、そういえば、日本で「いなご」は食べるんだっけ。
1/20(Fri)
さあ、今日こそ退院できるかどうか。それは、クリッピン先生のサイン次第。ところが、忙しいのか、なかなか来てくれず………。
そして次から次へと薬、点滴、腹水で食欲ないのに、食事が来る来る。
「コンコン」とドアを叩く音が聞こえるたび、パパの目線がぱっと動く。
結局、夜の七時になって先生が現れた。そして、腹水を抜いてからの退院。
前回かなり痛い思いをしたせいか、
「ふみえ、オレの気分がまぎれるように話しかけててくれ」
と、心配している。
でも、麻酔の時少し鈍痛があったみたいだが、後はNO PAINだったらしい。
あっという間に4リットルも抜いてしまった。色がビール見たいな色でしかも泡もでるので、先生が、
「キリイ~ンビア!」と言ってた。
4リットルも栄養分でもある腹水を抜いたので、体力が一気に落ちるおそれがあるが、お腹がすっきりして、パパの食欲が少し戻った。
でもきっとまたすぐ溜まってしまうのだろう。
塩分制限はもちろん必要だが、塩分をとってなくても溜るものは溜る。
かといって水分制限をすれば、脱水が心配。薬を飲んだり、栄養剤飲んだり、しているので、日本だったら、500mlの制限をはるかに超えてしまう。
しかも、ダラスは乾燥しているので、喉が異常に乾く。
なんとも悪循環な体のパパなのである。
1/22(Sat)
朝から電話が鳴る鳴る。
そのうちの1つは、我が愛しの(?)息子ひろくん。
「パパは?」と、心配そうに言っている。
早速パパに変わったが、今日はだるそうで(腹水を抜いた為)、すぐ私に受話器を渡した。
ひろくんの方は、まだしゃべり足らないみたいで、次から次へと、「あと一つ話があるん」となかなか切らせてくれない。
中でも笑ったのが、「校門から、家までトイレを我慢した」事を、「オレって凄いと思わねえ?」と、誇らし気に語ってた事。
学校にも元気で通ってるようで安心した。
昨日、メールで妹(私の)が「結婚記念日でしょ。何年目?」と聞いてきた。
はっきり言ってこの事に気付いたのは、世界であの子しかいないでしょう。
(当の本人達がすっかり忘れてたというのに)
うちの妹はほんと抜け目がないというか、しっかりしているというか。
「お姉さん」と呼びたくなってしまう。
一応そういう事ならと、ケーキを作った。
こちらのイチゴはあまり評判が良く無いので、バナナにした。(安いし消化にもいいし)
不二家のケーキとまではいかないが、なんとか形になったし、味も(少しアメリカの匂いがしたが)まあまあ。
超薄味の、パパ御注文のカツ丼も作り、退院祝いもかねて食べた。
明日は丸橋夫婦が、家に遊びに来てくれる予定。
いつもする話はやはりパパの移植のことになってしまうし、看護婦さん(休職中)とお医者さんなので、まるで回診のようになってしまうなあ。
しかし、今私が欲しいものは、
「英語が通じる取り付け可能な口」と、「看護婦(又は医者)のブレーン」
「介護」という事も何気に興味を持つようになってきた。
どれも、とても大変な仕事と気付く事も多くなった。
明日は雨が降るそうだ。
1/23(Sun)
退院して3日たつが、パパの調子はまずまずといったところ。薬が少し減ったので、その点でも負担が減ったかも。
でも相変わらず食の方は細く、エンシュア(栄養ドリンク)、でカロリーをとる。
冷蔵庫の中身が無いので、スーパーへ買い物に行く。久しぶりにバスに乗る。バスの窓からガストン通りを眺めていたら、アリスンさんの家が目に入ってきた。
FOR SALEの看板は外されている。(引っ越しした)
そういえばここの所忙しいようなので、メールをかいていない。
1/24(Mon)
I-94(ビザとは別に、米在住に必要な書類)の更新の為、書類を取りにインターナショナルサービスに行く。
入院中にいつも気に掛けてくれてたアマンダさんがいる所。
主に外人の為にある部署。
残念ながら、日本語対応はまだされていない。それでも、とても聞きやすい英語をはっきり話してくれる。
今後の日本人受け入れの為にも、頑張って日本をアピールしなくては!
ヘリングさんから、メールが届く。
明日予定してた訪問をキャンセルします、との事。
(あれ?明日会う予定だったかな?)
1/25(Tue)
朝、コンコココンコン、ドアをノックする音がして目が覚めた。パパが玄関口に行ったので、私は大慌てで着替えを済ます。
「Good morning!!」
ヘリングさん夫婦である。
とんだミスで、「Stop by」とメールに書いてあったので、キャンセルと思ってしまったのだが、
実は「少し寄ります」という意味だったそうで……..。
Stopなどの簡単な単語は辞書で調べないので、これには気ずかなかった。
英文は前後を良く見て訳そう!
ひとつ勉強になった。
ヘリングさんとの会話はとてもためになるので嬉しい。
パパも横になりながら聞いてたので疲れてはいない模様。
ラクツロースがなくなりそうなので、ブレンダさんにメールで連絡した後、直接オフィスに行く。
ファーマシーの前でEさん(日本から、ベイラー内の歯科に研修にきている)に会ったので、
キャッシュデイスペンサーの使い方を教わる。
(ダラスに来て約半年たつのにまだ使ったことがない。)
1/26(Wed)
うっかり明日の診察の時間を聞き忘れたので、思い切ってクリッピン先生のオフィスに直接電話をした。
なんとか通じて、朝8:30と確認。
切る時に「Thank you! bye!!」と言うと「サ、ヨ、ナ、ラ」と、日本語が帰ってきた。
(あっ、もしかしていつも受付で次の診察日を聞いてくるあのお姉さんかな??)
う~ん。もっと英語を勉強しなくては!!
(でも、電話は本当に耳がダンボになります。ダンボ以上かも)
さあ、明日の為に早寝、早寝。
1/27(Thu)
朝7時。まだ外は暗く、「朝」なのに雷の光りと音で目が覚めた。パパが慌てて、MACのコードを抜く。
セーフテイーエスコートに迎えに来てもらうよう電話し、支度をしていると外で雨の音が聞こえてきた。
それが、どんどん「さらさら」という音に変わった。
外を見ると、白い物が………。
(ええ??雪????)
ダラスではまったくと言っていいほど雪は降らないと聞いていた。
北の方で大雪が降っていると聞いた時、何気に(いいなあ。)と思ってた。
道路が滑ってスピードがだせないのか、迎えの車が来るのに20分もかかった。
クリッピン先生の外来も暇だった。
(いつもは座るところが無い程待ち合い室は一杯なのに、今日は1人だけ)
相変わらず受付の人が丸橋先生を(電話で)つかまえようとしていたが、
残念。
先生は、今週は(こちらにきて初めての)長期休暇の為休んでいるのだ。
「Dr.Marubashi is on holiday」と伝えた。
クリンピン先生はいつもの笑顔で登場。
お腹の腹水はまた大きくなったらドレーンで抜くが今日は大丈夫。
パパは今日は調子がまずまずだったので、クリッピン先生は両手を広げて喜んでた。
アップする為の写真をお願いすると快く「OK!」と言ってくれた。
(少し照れ笑いしたましたが….)
新しい薬が処方される。抗生物質らしい。
そして、いつものように血液検査。
寒かったので、カフェテリアでコーヒーを飲みながらアメリカの食事について話す。
「なんでアメリカのコーンフレークの色はこんなにカラフルなの??」
(とか言いながら全部食べた)
ロバーツのエントランスで車を呼びながら外をみると、なんと、雪がうっすらと積もっていて、帰りの車では緊張した。
パパと二人で「すべる~すべる~」と思いながら固まってた。
1/28(Fri)
Eさんから、おいしいパンを入手したのでいかがですか?と電話がくる。
丁度、ファーマシーに薬をとりに行かなければならなかったので、1時に約束し、うわさのパンを頂く。
今週はアパートの買い出しに行かなかったので、ジュースを買いにセブンイレブンまで行く。
「さッ寒い!」
昨日の雪が(たいして積もらなかった割には)溶けてないので、よっぽど気温は低いのだろう。
アパートの屋上も人が歩いて無いせいか、そのままアイスバーンと化してた。
(アイススケートできるかも….。)
滑って転んで頭など(腰)打ったら大変なので見るだけにする。
丁度、テレビではアイススケートの大会をやっていた。
今日はなぜかパパは寝てばかりいる。
新しく処方してもらった薬のせいだろうか?脳症は今のところ大丈夫なので、様子をみよう。(たまに起こす)
家で管理できる所はキチンとやらなければ。このままの状態で手術を迎えられればいいのだけど。
1/29(Sat)
I-94の書類を送る為にAさんに家にきてもらった。これを無事済ませないことには、アメリカに居られなくなってしまう。
書類は揃っているので、あとは送るだけ。
「送るだけ」なんだけど……..。
郵便局は24時間開いている(飛行場内の郵便局)。郵便局に行く前に、書類をコピーする為コピー専門店に寄る。ここも24時間営業で、大きなコピー機が何台も置いてあり、コピー代のみで、セロテープ、クリップなどは無料。
そこらのコンビニでコピーをとるのと少し違う感じ。
他にも日本食料品店と大型スーパーにも寄ってもらう。色々と寄ってしまったので、帰宅が少々遅れてしまい、まちくたびれたパパから電話がかかってきた。
Aさんは運転中だったので私がもしもしとでると、か細い声でパパ「Aさんですか?ふみえは……」
私「私!!ごめ~ん!!今戻る所だから!!カルピス買ったから!!!←言い訳」
パパ「うん。わかった。気をつけてね」
電話だと特に声が弱く感じるな………(まるでおじいさんのような声だけど、やさしい感じなので私は好きだけど…)。
帰りのフリーウェイは少し氷っててスリルがあった。少しの雪だったのに2日たってもまだ残っている。
まだまだ当分寒い日が続きそうだ。
1/30(Sun)
昨日は、ダウンタウンに行く途中、(黒い)鳥の大群に遭遇した。いつも夕方五時頃にアパートの上を次から次へと飛んでいく。
「どこにいくんだろう?」
と不思議に思ってた。
ダウンタウンに入る手前の、電線、ビルの上、木の枝(冬で葉っぱが無いので目立つ)…..etc。
すごいなんてもんじゃない。
恐いくらい。
そうだ、ヒッチコックの「鳥」だ!!!
車の中なので、襲われる事はないが、白い爆弾をいつおとされるやら…とAさんは苦い顔をしていた。
今日もいつもの時間(5時)に飛んでいった。今日は何処に行くのかわかっているよ~と叫びそうになった。
1/31(Mon)
アパートの車でアルバーソンに行く。
今日は、おじさん二人も一緒。どちらも元気な感じなので奥さんが病気なのかな?と
知ってる限りの単語をならべて聞いてみたら、一人の人が
「It is me.was」と返事が。(簡潔に答えてくれる)
だった?という事は術後???
術後の人に何人も会っているが、みんなそんな感じがしない。
そりゃ、退院直後は歩き方がぎこちないが、2ヶ月もたつと、ベンツのマークを見せられない限りわからない。
もう一人の人は奥さんが移植待ちとのこと。
後は3人(運転手さんも入れて)が話し始めたので、耳をダンボにして聞いていると、早口でしかも小さな声で解りずらかった。
こうなると考えることはひとつ。
(私に話がまわってこないように)と、寝たフリをする。
(3人とも出身はどこなのだろう?)
州なまりが解る程まで英語をマスターしてみたいな。
ここまで妻の日記