1999年10月 腎機能低下とハッピーハロウィン

注意
これは1999年の日記のため、情報が古いです。また、医療情報についても素人患者の闘病記です。ご自身の健康に関しては、医療機関に相談してください。

10月1日(金)

今日から、夏時間終了!

時計の針を一時間遅らせる。

が、なんか、違うんだよな。ベイラーにある、お昼のカフェテラスがらがらだし。なんか、ずれてるんだよ。

帰宅後、HPの掲示板をみると、夏時間についての情報が錯綜している。

いつ、夏は終わるのだ!?

、、、、、、、、。

結局、ダラスは10月31日まで夏時間らしい。なんか、オレ一人で秋時間(そんなものはないが)をすごしてた。

なんか違う。どこか違う。と思いながら過ごした一日だったが、違ったのは、オレだった。


10月2日(土)

不眠症。

東京にいたとき眠りにつくためにいつも聞いていた。安眠できるCDを聞く。ダラスでも効果があった。

静脈瘤が破裂して、一月入院。退院したはいいけど、情緒不安定におちいり不眠症になった。

夜一人で起きてると、ろくな事を考えない。どんどんネガティブになっていく。医師に頼んで、睡眠薬をもらうようになった。

そして、妻に頼んで、買ってきてもらったのが、このCD。小川のせせらぎの中から、静かに流れるピアノの調べ。気がつくと、頭の中がカラッポになり、眠りにおちていく。

一応、日本から持ってきたものの、今まで聞いてなかった。あの頃の不安な毎日を思い出しそうで、恐かったから。


10月3日(日)

アリソンさんに誘われて、近くの公園に出かける。

彼女は、今日もピックアップトラックで現れた。今、この公園でイベントをやっている。

テキサスの地元物産展や、ショー各種。そこに、移動動物園みたいなのがあった。

日本では、動物にはエサを与えるのは、御法度だ。この移動動物園は、エサを売っている。動物達に与えるために。

生まれてはじめて、キリンとシマウマに餌を食べさせてあげた。

売店でコーニードック(アメリカンドッグ)を食べる。名物らしい。

疲れたので、甘いもの食べようと、妻にお願いしたら、テキサスツイストというものを買ってきてくれた。

ツイストパンに大粒の砂糖がまぶしてある。一口食べて驚いた。

白くて大きな粒は、塩だった。塩辛いのなんの。一番、オレのたべちゃいけないものだった。

ステージでKOBUSI SHOWをやっているという。見に言ったら。

のぼりの旗に、『鼓舞士』。日本の太鼓のショーなのだろうが、なぜかドラが。中国と日本が、ごっちゃになったショーだった。

疲れるといけないので、午前中にでかけ、午後には帰宅する。


10月4日(月)

最近、マックを妻に占領されている。

自分でHPをつくっているのだ。かなり、個人的でプライベートな内容なので、公表はしていない。カウンターにチャット、掲示板までついている。

「あっ、カウンターが一人増えてる」

「あっ、それオレだ」

「それじゃ、誰も見てないじゃん」

当たり前だ。公表してないんだから。

日本とダラスを結ぶネット。国際電話は、高くて、そう簡単にはかけられない。

東京で住んでいたのは、杉並区阿佐ヶ谷。アパートを引き払って、ダラスにやってきた。息子は、栃木の実家が預かってくれた。

阿佐ヶ谷、、、。ほんと、色々なことがあった。

たった2ケ月しかたっていないのに、すごく懐かしい。

高校を卒業して、東京に出てきたばかりのことを思いだした。あの時も、東京で一人暮らしを始めて、まだ2ケ月しかたっていないのに、とても、栃木が懐かしく思えた。

一つ、自分の中で謎だったことがある。東京に出てきたのは、就職のためだ。就職先はコンサートの照明会社。もちろん、そんな特殊な仕事、学校に求人がくるはずはない。自分で舞台照明の会社を調べ、電話で就職したいのですがと伝えた。ほとんどの会社に、専門学校を卒業した人を採用していると断わられた。

その中で、一つの会社だけが、じゃあ栃木でライブがあるとき見学においでと優しい声をかけてくれた。実はその会社が本命だった。

当時、サザンがニ枚組みのアルバム『kamakura』を発表して、ツアーの最中だった、ある雑誌のインタビューで、ツアーの感想を聞かれた桑田さんが、「照明ばっかりホメられちゃってさ」と答えていた。

その照明を担当していた会社がそこなのだ。

それから、実家のある足利市から、そう遠くないライブには、かかさず顔をだした。そのかいもあり、高校3年の春には就職が決まった。

「普通は、専門学校からとるんだけどね」

そこまでやる気があるのなら、卒業したら、うちにおいでと言ってもらえた。そして、3月からその会社に入社。(3ケ月間は研修)

スタッフ全員の前で、オレはこう紹介された。

「こんど非常にヤル気のある高校生をとったから、みんな、よろしく面倒みてくれよ」

そして、オレはどうしたか。なんと、5月にはあっさりと、辞めてしまったのだ。

その数日前、NHKホールでライブがあった。その帰り道のことだ、なぜだか悲しくなり代々木公園で泣いていた。確かに、周りの人達はみんな年上の人ばかりだし。

同期入社した人も専門学校を卒業しており、なんだか自分だけ孤立していた。

翌日は仕事を休んだ。オレは、一日中考えた。そしてある決心をした。

次ぎの日、オレは社長と二人で応接室にいた。

「辞めてどうするんだ?」

社長がオレに問い掛ける。

「やっぱり自分も舞台に立たくて。友達とバンドやろうって決めたんです」

社長は呆れていた。絶対に無理だと言っていた。今になって冷静に考えると、オレも無理だと思う。

友人達に聞かれた。なんで辞めたの?

「やっぱり、自分も舞台にたちたいからさー」

ここでも間抜けな答えを返していた。でも、それは自分でも感じていたのだ。それは嘘だ、それが真実の理由ではないと。自分で理由を説明してても、シックリこないのだ。

自分の中でも、なんで辞めたのか、納得いく答えが見つからなかった。それが、今回の渡米でやっとわかった。思い付いた瞬間に、あっそうか!と気持ちの中でおさまりがついいた。

あれは、たんなるホームシックだったんだ。


10月5日(火)

TBSラジオ、火曜アップス、爆笑問題カーボーイ。その1コーナー、ハッピーワールドが終わった。

自分がネタにされるのもいいもんだ。東京で入院していた時は、ずっとラジオを聞いていた。病気もしっかり、ネタにされた。

それを病室で聞きながら、あまりの可笑しさに笑いをかみ殺したこともあった。(大部屋だったので)

そうか、あれは長い夢だったのか、、、、。


10月6日(水)

ここの生活を始めたばかりの頃に感じたのは「一日があっという間に過ぎてゆく」だった。

最近は、「なんて一日が長いんだ!」である。

症状も退院してからは、安定しているようだ。

ただ、いつも疑念は絶えない。気持ち悪くなれば、吐血かとトイレに駆け込み。

息がアンモニア臭い気がして(肝臓病が悪化するとなる)肝性脳症がでてきたのかと、両手を広げ、前につきだす。(これで、指が震えたりするようだと、脳症が入ってる)。

今日食べた昼ごはんも思いだせず。文章を書いていても、言葉がでてこなかったり。症状はボケ老人とおなじだ。

毎日、めまいがする。降圧剤のせいなのか?それとも、赤血球が減り貧血が、おきているのか?

病状は安定していると思うのだが、悪くなっている気もする。

考えだすと、気分が滅入ってくる。はやく、移植の順番が来ないかと、そんなことも考えるようになった。

移植待機中の、不安定な精神状態に突入を開始したか?


10月7日(木)

所属事務所のタイタンから、励ましのメールが来ていた。

画像書類が添付されており、何の画像かと開いてみれば。それは、アップスのハッピーワールドで、オレが見ていた夢のことを書いたハガキを、スキャンしたものだった。

妻が一人で、患者アパートの夕食会に出席。オレは気分が乗らなくてパス。普段、人見知りの激しい妻が、一人で英語で挨拶したという。あれほど、アメリカ行きを不安がっていたのに。なんだか嬉しい。


10月8日(金)

アリソンさんからメールが届いていた。

もちろん英文。ざっと見たところ、先日遊びに行ったステイツフェアの写真ができたという事らしい。

ベイラーの自分のオフィスにいるので、都合が良ければ、取りにおいでと書いてある。

妻と二人で、ベイラーにある彼女のオフィスへ。アリソンさんとしばし会話。こんなこと書くと、いかにも英語が話せそうだが、そのとおり。最近じゃ結構会話になる。

前もって、話すことをシュミレーションしてから出かけるのだ。必要な単語を辞書で調べ、英会話の本から言い回しや文法を調べる。

そして、レッツゴーだ。

もちろん、会話の主導権はオレだ、もう握ったら離さない。なぜなら、そうしないと、シュミレートした方向からずれてしまうからだ。

相手から話題を切り出されたら大変だ。途端に無口になってしまう。まず、ヒアリングに全神経を集中させる。

会話の中からキーワードになる単語を見つけ、そしてそれをつなぎ合わせる。これで、相手の話している内容を想像するのだ。

そしてこちらが、それに対して言葉を返すわけだが、まず、なんとか理解できた場合。

少ないボキャブラリーの中から、しぼりだすように、単語さがし。文法の基本である、主語、動詞、名詞だけで答える。しかし、発音が間違ってれば通じない。

理解できなかったケース。

相手の会話に合わせ、「イェ、イェ」と相づちを打ち。

話し終わって、彼女が笑えば、一緒に笑い。顔をしかめれば、こちらも真剣な顔で頷く。

そして、すかさず、こちらが会話の主導権を奪い返すのだ。

ただ、これで会話をすると非常に疲れる。集中力も15分が限界だ。それを超えると、右の耳から左へと、イングリシュシャワーが通りすぎる。

一言つけ加えると、彼女は僕ら夫婦と会話するときには、非常にゆっくりと正確に発音してくれ、英単語も簡単なものを選んでくれる。

彼女がネィティブ同士で会話していると、すごいスピードで英単語が流れ、一つの文章がまるで一つの単語のように切れ目なく続く。

こうなると、ほとんど理解は不可能だ。


10月9日(土)

今日は、丸橋先生からメールがきていた。しかも、英文!なんでなんだーーーー!!!!

アリソンさんは気を使ってくれて、なるべく短い文章でメールをくれる。しかし、丸橋先生のメールは長文だ。

うぅう、ヤラレタ。


10月10日(日)

このところ、外出していない。少しくらい、出かけなきゃ。気持ちの中では思うのだが、この倦怠感はどうにもならない。

ここで朗報を一つ。

今月の25日に、広空がアメリカへ来ることが決まった。妻の妹が連れてきてくれる。1週間の滞在と短いが、学校を休んでくるのだから仕方ない。

10/30日はハロウィンだ。

“Trick or Treating”


10月11日(月)

移植についてのメーリングリストに参加する。

夜、妻の妹のYちゃんから電話がある。今週号のピアに、大川興業の大川総裁が、オレのことを書いてくれてるという。

総裁には、ブロスの穴も埋めていただいた。ピアで人気連載している『金なら返せん』で、取り上げてくれたという。

総裁は、3月の吐血で危篤になった時にもお見舞いに来てくれた。

「なんだ、元気そうで安心したよ。退院したらさ、又『すっとこ』においでよ」

総裁は優しい声をかけてくれる。

「スッコドッコイ!必ず行きます!」

その時は病状も落ち着き、大部屋に移っていた。周りの患者さんは不思議に思ったろう。

(変わった人達が、いるもんだな~、、、)と、

大の大人が二人、堅い握手を交わしながら『スットコドッコイ』での再会を誓いあっているのだ。

そんな事はない。我々二人はいたって真剣である。

この『すっとこどっこい』とは、大川興業主催のお笑いライブだ。略して『すっとこ』。 もう10年近く行われている。

オレ達キリングセンスは、ここのところライブから足が遠のいていた。総裁と会ったのも久しぶりだ。

「元気になったら、絶対にスットコ行きます」

そう約束して別れた。それは、まだ実現していない。


10月12日(火)

やはり、アンモニア臭い気がする。頭も重い。そもそも、血中のアンモニア濃度は高くてあたりまえなのだ。

肝硬変の end-Stage なら仕方ない。

やっぱり、タンパク制限したほうがいいのかな。それとも、多少の脳症など無視して、無理してでも食べたほうがいいのかな。

よくわからなくなってきた。メーリングリストで聞いてみる。

しかし、歩かなくなった。東京で入院していた時より、歩かない。一日の歩行距離は100mないだろう。


10月13日(水)

メールをみると、昨日の質問の答えが帰ってきてる。

そこに書いてあるのは、オーストラリアでもまったく一緒だったという話しだ。

日本では移植という治療は一般的ではない。そのため、壊れた肝臓をなんとか一日でも長くもたせようと、内科が進歩した。

アメリカやオーストラリアは違う。壊れたら取り替える。それまで持てばいいのだ。

答えはでた。

やはり、手術は体力が勝負だ。やはり、体力をつけなければ。相変わらず食欲はないが、カロリーだけでもとろうと。電卓を片手に、ジャムをたっぷり乗せたパンを、無理矢理コーラで流し込む。

なんか、体に悪そうだ、、。

日本にいたときに感じていたことだが。アメリカでは、肥満が大問題になっていると耳にした、どうもピンとこなかった。確かに、その頃オレの知ってるアメリカは、映画の中にあるだけだ。ほんとうのアメリカの姿など知らない。

ほんと、来てみてびっくりした。これは大問題だろう。映画にでている人は、みな体を鍛え磨きをかけている、アクターだった。

今、アメリカのスーパーの棚をみれば、FreeとかLowの文字が目につく。塩など、No salt という塩じゃない、塩もどきがうっている。

それを使って料理すると、全てが『もどき味』になる。マヨネーズもFree fat、無脂肪のものを使っている。塩分も、0なのだ。そして、こういった商品の購買層は、ダイエットを目的とした人達だ。カロリーまで低いときている。

栄養士さんが言っていた。

コークも、飲むんだったら、ダイエットコークなんて飲まないで、普通のコークを飲んで下さい。確かに食欲が落ちると、ガクンとやせて体力がなくなる。

この問題を一気に片付けるために、妻と二人でベイラーのカフェテリアに向かう。外出したのは、何日ぶりだろう。驚いたことに、ひざに力が入らない。妻に肩を貸してもらう。

やはり、毎日すこしでも散歩したほうがいいのだ。

ベイラーにあるカフェに着いた。一見すると、おいしそうなケーキがならぶ。アメリカ人は、YES か NO かの国民性にみえる。脂肪や糖分にも、しっかり繁栄されている。

まったく入っていないか、たっぷりか。このケーキが、極端に甘いんだ。


10月14日(木)

外来診療の日。

診察室の中にいるのは、オレと妻、そしてD.Crripinの三人だ。Dr.Crripinが頭を抱えて悩んでいる。

(どうすれば、この日本人夫婦に、この言葉を伝えることができるのだ‥‥‥。)

Dr.Crripinは、顔をしかめ肩をすぼめる。頭を押さえてクビを振る。オレ達夫婦に、現在の病状を伝えようとしているのだ。

子供でも理解できるような簡単な単語を、一生懸命探しているのだ。見ていて申し訳なくなる。

Dr.Crripinがこちらに視線を上げた。何か、僕らでも理解できそうな、簡単な単語を見つけたのか?Dr.Crripinがしり上がりに聞いてくる。

「Dr.Marubashi?」

今日は、丸橋先生は来ないの?ということだ。この時間に来れないということは、先生は移植手術に入っているのだろう。

結局、細かいことは、丸橋先生に伝えておくという事になった。そして、インフルエンザの予防接種。血液検査もこなし帰宅する。

病院からアパートへ戻る道すがら、散歩をかねて遠回りする。日中は、まだまだ厳しい熱さが続く。額から汗がこぼれ出る。

大失敗だった。驚くほどの疲労感、虚脱感が体を襲う。ダラスの日射しが、オレの体から、みるみるうちに体力を吸い取っていく。

一人言のように「なんでかなー」「やっぱり毎日歩かなきゃだめなんだよ」と、ブツブツ言いながら帰宅。


10月15(金)

午後に散歩。少し歩いては休憩をとり、無理せず体力強化。30分ほどで帰宅。広空が来るまでには、なんとか調子を取り戻したい。

アパートに戻ると電話が鳴る。丸橋先生からだ、昨日の話しだろう。

「萩原さん、昨日の血液検査の結果なんですが、腎機能がおちてます。利尿剤の服用をやめて下さい」

まったく予想外の返事だった。もしかしすると、少し脱水症状になってるかも知れないとの事だ。

確かに、慢性的に口の中は乾き、塩っぽい感じだが。これは脱水の症状なのだろうか?そして、この疲労、虚脱、倦怠感も?脱水症状を体験したことがないのでわからない。

急きょ、来週また診察に行くことになるかも知れない。

先生から、カリウムの取得を制限された。昨日まで、カリウム豊富なものばかり食べてた気がする。

ますます、何を食べたらいいのかわからない。


10月16日(土)

カリウム制限の解除。

そんな制限しなくていいらしい。オレの勘違いだった。あれこれ考えすぎるのは、よくないですよとアドバイスされる。

制限されている塩分だけ気をつけて、好きなものを食べたほうがいいですよ。

確かにそうだ、あれこれ体に気をまわしすぎ、逆に疲れた。

何も考えずにボーッとしている。すると、何か大事な事を、やり忘れている気がして不安にかられる。なんだろうと考えるが、思い付くことはない。多分、そんなものはないのだろう。

気がついたら、寝てたりする。疲れが溜っているのか、一日中、寝たり起きたりと夢うつつの中。

水を噛むようにして飲んでいる。


10月17日(日)

外は雨。朝から雨が降り続いているのは、ダラスにきてから始めてでは?

買い物から帰った妻がいう。凍えるような寒さだと。このまま冬がやってくるのだろうか?

テレビでは、メッツの吉井が投げていた。調子が悪いのか、交替させられる。

「なんだよー!」

妻もオレもブーイングである。断わっておくが、二人は野球が好きではない。日本にいるときも、ナイターなどみたことない。そもそも、野球の知識がない。そんな二人が、なぜ大リーグを見ていたか?

それは、日本人が映っていたからだ。

(話しに聞いたことあるが、吉井というのは、この人か、、)

やはり、同じ日本人として応援してしまう。嬉しいものである。そういえば、野茂はどこの球団にいるのだろう?

吉井がマウンドを降りた。それと同時にチャンネルも変える。


10月18日(月)

妻は買い物へ、オレはベイラーへ向かった。睡眠薬を貰いに行くためだ。前回の診察の時に、眠れなくて困ると告げた。すると、一つの箱に2粒だけ入ったサンプルの睡眠薬を出してくれた。それは5日分あった。

Dr. Crippinは手を受話器の形にして、なくなったら連絡してくれと、言っていた。それが、今夜なくなくるのだ。

薬の処方箋を出してくれるのはDr. Crippinだ、だが直接行っても貰えまい。電話してくれというのは、コーディネータに電話してくれということだ。

本来なら、電話1本ですむ用事だ。しかし、万全を期するなら薬の空箱と辞書をもって、コーディネータのブレンダさんに会ったほうがいい。

まず、彼女のオフィスが分らない。キョロキョロしながら歩いていると、インフォメーション(案内係)の女性に声をかけられた。

「メイ アイ ヘルプ ユ」

ここで「ありがとう」とでも言いながら立ち去ってしまえば良かった。しかし、オレはここで捕まってしまった。

とりあえず、コーディネータのブレンダさんに会いにいきたいんだ、という事を伝えた。彼女は「OK ! OK! 」と言いながら、オレの前を歩きだす。ついてこいと指を曲げる。

親切な人で良かったなと思っていると、彼女が、案内してくれたのはソーシャルワーカーの部屋だった。何事か?とみんなが集まってくる。

どうやら、オレは迷子の日本人らしい。

オレはここで、「ドンウオリ」心配しないでと連発していた。しかし、彼女達はオレを逃しはしない。

「あなたはドンウォリじゃない。大丈夫、まかせといて」と決めつける。

そして秘密兵器、電話同時通訳の登場だ。これのお世話になるのは2度目だ。最初は、こちらにきたばかりの事だった。あれから、全然英語が進歩していないってことか、、、、。

通訳の人に事の次第を話した。それを聞いたワークの人達が、薬の手配をしてくれる。

あとは、明日、ファーマシーに取りにいけばいいだけだ。わざわざファーマシーのあるところまで案内してくれた。「サンンキュー!」と別れる。

これで、薬の心配はないわけだ。


10月19日(火)

体調に気分も大分良くなってきた。ドクターからの連絡もないところを見ると、極度に腎機能が落ちているわけでもないのだろう。

尿もしっかりでている。来週の検査まで様子をみるのかも知れない。

午後になり薬をとりに行く。

レジの女性が、(あっ、昨日の日本人という顔をする)。オレの名前は萩原ですけど、ラストネーム、ハ、ギ、ワ、ラと告げる。

彼女はクビを横に振る。まだ、処方箋が届いてないという。なんか嫌な予感はしてたんだ、、、、。

何時頃に来ればいいか訪ねる。

彼女は少し考えて、「ファイブ、サーティ」5時30分だと答えた。アパートから病院まで近いからいいようなものを、遠い人はどうするの?と言ってやりたいが、言えない。

「オーケ。シーユレイラァ」と愛想よく別れる。

午後5時15分。妻が病院行かなくちゃと知らせてくれる。慌ててアパートを飛び出し、ファーマシーについたのが5時25分。

お店が閉まってる。

店長らしき人がレジを精算している。(ちょっと待てよー!!)と心の中で叫びながら店内を覗き込む。店長と目があう。オレは腕でバツ印をつくった。すると彼は大きくうなずく。

嫌な予感はしてたんだ、、、ズバリ適中したよ。


10月20日(水)

結局一睡もできずじまいだった。

これは、ただファーマシーまかせにしていては、いつ手に入るかわからない。今回は、睡眠薬だが、これから色々と薬の世話になるのだから、なんとかせねば。

とりあえず、朝8時にファーマシーに行く。やはり、薬はないという。こうなったら、基本に戻って、コーディネータのブレンダさんに会いに行く。

今回は、彼女の名詞を持ってきた。インフォメーションでそれを見せる。1発でわかった。

この次ぎのフロアの3階だという。

言われたところは、いつも外来診療に来るクリニックのあるフロアだ。こんなところに、コーディネータの部屋はあっただろうか。オフィスで働く人を捕まえ、部屋を訪ねる。

すると、そのクリニックの中だという。

(そうか、この中にオフィスがあるんじゃわからない)

中に入ると、いつもの受け付けの気品のあるアバアサンがいた。オレの顔を見てニコッと微笑む。見知った人に会うと安心する。ブレンダさんに会いたいと告げる。

彼女はさっそく電話してくれた。いますぐ来るという。

ブレンダさんは、みるからに活発なオバサンだ。

「グッモーニン」と元気よく現れた。

そして、その手には睡眠薬が、、、、、、。彼女から処方の注意を受け、薬を受け取る。最初から、ここに来てればよかったんだ。

夕方、妻が階下の郵便受けに行った時、見知った住人に話しかけられたという。

「なんかアバウト ミニッって言ってたけど、わかんないから帰ってきちゃった」という。

「その言葉の前にバックって言ってなかった?」

「言ってないと思う。なんか『いっぱい』って言ってた」

「何かをたくさん作ったので、それをおすそわけするって話しかな、、」

何の話だろう、数分のうちに何が起きるんだ?悩んでいたら、彼女がやってきた。確かに一杯入ったものを貰った。

ラクチュロース。

一般の人にはなんだかわからないだろうが、これは薬で、緩下剤でもあり、腸内の悪玉細菌を追い払う効果もある服用液だ。薬をもらったのはいいけど、医師に確認してからでないと飲めない。

しかし、もう薬が必要なくなったということは、移植手術が行われたのだろう。


10月21日(木)

患者アパートのバスに乗って買い物へ行く。

このバスは、オレ達夫婦専用になってしまっている。誰も利用者がいない。しかし、定期的に運行してくれる。

巨大カボチャを買う。ヒロタカを驚かすためだ。この大きさで、4ドル。食べがいのあるでかさだ。

自宅に帰り、さっそくカボチャの中身をくりぬき、ハロウィンのかぼちゃを作る。

(あの、中身くりぬいて、顔のあるカボチャ)

底をナイフでくりぬいて驚いた。中身はカラッポのスカスカ。食べるところなんてない。なるほど、これは、飾りつけ専用なのか?

ハロウィンの飾りつけにはまる。庭にでて、枯れ木を集める。ブラインドを利用して飾りつけ。黒のゴミ袋で、コウモリをつくる。


10月22日(金)

朝、突然アリソンさん来訪。出張でドイツへ骨髄を取りにいっていたのだが、夕べ帰宅とのこと。最近の調子や、ヒロタカの渡米の話しをする。

妻と久々の外出。バスに乗って、大型量販店のターゲットへ行く。広空達のための、生活用品を買うためだ。

秋らしい季節になったと思っていたのに。ダラスは、まだまだ夏なのか?日なたに立つと、夏の浜辺にいるようだ。

朝は、体調が良かった。しかし、そんな体調は、すぐ吹き飛ぶ。これは、もう何年も続いていることだ。

いつの頃からか忘れたが(なんか調子が違うんだよ)、(なんか今一なんだよな)という、違和感に悩まされていた。年を取れば、誰でもそうなのかと思っていた。違うんだ、肝臓がそれだけ悲鳴を上げていたのだ。

帰りのバスを待っていると、白人の若い女性が話しかけてきた。なんだと、耳に前神経を集中させる。バスがどうのこうの言っている。

オレは、この女性はダラスに来たばかりの人で、ここのバスのシステムが分らないのかと思った。

そこで、ここのバスは1ドルで、乗り換えは90分は自由に出来ると教えてあげた。しかし、彼女には通じなかったらしい。オレもなんとか説明しようと努力した。彼女は、なおも話し掛けてくる。オレはそれを、理解しようと頑張る。数分のやりとりが続いただろうか、

(あっ!!!!)

オレは、彼女の言葉を理解した。この女、オレから1ドルたかろうとしているのだ。バスに乗りたいが、お金がないと言っているのだ。やられたっ!と思ったが後の祭りだ。

本来なら、こういう場合は、ノーマネーの一言で済む。しかし、これだけ、話しをした後では無視するのも悪い気がする。

この辺が気の弱い日本人なのだ。

しょうがないから、クォーター(25セント)一枚で、ごまかそうとした。彼女がそれでは許さない。

オレのそばを離れないなのだ。

仕方ないから、1ドル差し上げた。彼女は、違うバスに乗るからと、その場を立ち去った。

アメリカでは、この手の話しがよくあるので、気をつけるようにと本に書いてあった。その典型にはまってしまった。まあ、これも英会話の練習料と思えば格安だけど。


10月23日(土)

ホームページをいじったり、近況報告のメールを書いたりしていたら日が暮れかける。

駐車場の屋上に出て散歩。

はやく、こいこい月曜日。明日は、一日を長く感じそうで恐い。

このまま月曜日まで、冬眠したい。


10月24日(日)

いよいよカウントダウンがはじまる。

「1分すぎたよ、、、」「2分たった、、、、」とオレは時計を見つめながらつぶやく。

「やめてよ、すごく気になるから」

そう怒る妻は、満面に笑みをたたえながら、狭い部屋をウロウロしている。

息子に会える。

東京では、当たり前だった些細なことに、今は大きな幸せを感じる。

明日空港まで、迎えにきてくれるのは、UNV Dallasに通うAさんだ。彼女はダラス大の大学院生。御両親と家族でこちらに住んでいるという。たまたま、オレのHPを見て、救いの手を差し伸べてくれた。

彼女は、入院の時にもお見舞いにきてくれた。英会話はペラペラ、地域事情にも詳しい。大変お世話になっており、感謝の言葉がたえない。

電話で明日の打ち合わせ。午前10時に迎えにきてくれる事になる。


10月25日(月)~11月1日(月)

到着の朝

朝10時にAさんが迎えに来てくれる。飛行機の到着には、まだ時間があるとのこと。Aさんの自宅に招かれる。

Aさんのお母さんが、とても気さくな方だった。

昼食をごちそうになる。

『特製おこのみ焼き』

そういえば、ここ数年食べていない。とてもおいしかった。

いよいよ飛行場へ出発。JALの出迎えゲートに着いたのは、12時40分だった。飛行機の到着予定時刻は12時50分。税関の手続きなどあるから、小一時間かかるとみて、出口に現れるのは1時30分前後だろう。一時間ほどの待ち時間だ。

ソワソワして気が落ち着かない。

しばらく、待っていると、まず団体客が出てきた。JALだけあって、日本人ばかりだ。スチュワーデスが、降りてくる。そしてパイロットが、、。しばらく、人気が途絶える。

ん?、、、、、、、、、、、、。

二人の姿が全然見えない。そんなことはないと思うが、税関でトラブルが?ほんの少し心配が頭をもたげる。また、通路に人が流れだした。その人の群れを、目でおいかける。リュックサックを背負った少年が現れた。

いた!広空だ!

義妹といえば、目を真っ赤にしている。機内で一睡もできなかったらしい。長旅で疲れ切っている。広空といえば、元気の塊。

Aさんの配慮で、どこか面白いところへ行く計画もあったが、義妹も疲れているし、広空が、

「ママのアパートが見たい!見たい!」と騒ぐので帰宅。

広空との1週間が始まる。


最初に釘をさす

今回の渡米で心配なのが、

『広空が、帰りに、ぐずるのでは?』ということだ。

飛行機は電車やバスと違う。泣いてぐずるから、1本飛行機を遅らせる、という訳にはいかない。

「いやだ!」と泣いて喚こうが、かついででも飛行機に搭乗させなければならない。

ダラスで一緒に生活する、、、、、。できれば、そうしたいし、できるのなら、最初からそうしている。

オレと妻は、広空が渡米する前に話しをしていた。初日に、帰国のことをよく言ってきかせようと、そして、なぜオレ達が、広空だけ日本に残してアメリカにいるか、あらためて、説明しようと。

そして渡米初日。オレは広空に何気なく、声をかけた。

「ヒロ君、来週の月曜に帰るのは知ってるよね?」

すると広空は、(そんな事始めて聞いたよ!)といった風に、驚いた顔をこちらに向けた。

今度はオレが驚いた。

「えっ、ここに住むつもりなの?そう聞いてるの!?」

すると広空は、してやったりとした顔で、

「嘘だよ~ん。知ってるよー」

、、、、。

7才の子供の冗談に、すっかり騙された。今回の渡米の事情も、説明するまでもなく、よく理解していた。


広空の変化

「ひろくん、一緒に寝よう」

夜、一緒に寝ようと広空のベットに潜り込む。しかし広空は逃げてしまう。

「やだー」

阿佐ヶ谷にいた頃は、毎晩一緒に寝ていたのに。

「なんで、一緒に寝てくれないの?」

「わかんない、、、なんか体がそうなってる」

妻と妹は、それを聞いて笑っている。笑いごとではない。

そういえば、オレに対する態度が、どことなくよそよそしい。今まで感じたことのない距離間だ。これが普通の父と7才の息子の距離なのか、それとも、患者とその子供特有の距離なのか?ただ単純に、『久しぶり』という時間が生みだした距離なのか?

しかし、妻にはベタベタと甘えまくっている。オレだけ仲間はずれみたいで淋しい。


広空のデタラメ歌

広空は、よくデタラメな歌を唄う。

今夜の歌は笑えた。英語の歌だよと、誰かが教えたのだろう『ヤングマン (Y.M.C.A)』

彼はそれを、中途半端にメロディーだけ覚えていた。歌いだしたのは、

「I. H. A」

「素ばらしいI H A チチラチュラチュラ I H A」

みんなで、大笑いである。I H Aって何の略なんだ?


定期検診

木曜日は午後から、Dr.Crippinの診察だ。

広空も連れていく。

Dr.Crippinが笑顔で現れた。そして広空を見つけると、驚いた顔して問いかける。

「あなたの息子か?」

そうだと答えると、今度は広空に話しかけてきた。広空は、真っ赤な顔で妻の後ろに隠れながら、

「ナイストゥーミートゥユ」

診察室になごやかな空気が流れる。Dr.Crippinには、2人の娘さんがいて、ポケモンの大ファンだそうだ。

日本から持ってきた千代紙をおみやげに渡す。

前回の検査では、腎臓の機能が低下し、脱水症状になっていると判明。それで今、利尿剤をストップしているのだが、今回の血液検査の結果次第で、また連絡をするとのこと。

とにかく腹水でお腹が破裂しそうだ。それと、鼻風邪をひいたのか鼻水がとまらない。

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ここから妻の日記↓
10/25(Mon)

25日だ!!!いよいよきた。

昨日は興奮してしまい遠足行く前の日の気分でしたが。空港に行く前にまだ時間があったのでAさんのお宅でお母さんの手料理に舌鼓。

空港ではなかなか来ないひろくんたちが心配で、そわそわしてました。出口からいつものリュックをしょい、いつもの笑顔でひろくんが出てきました。

反面、Y子のげっそりした顔といったら…….。

(税関で、『you will go back japan!!』みたいな事を言われたらしい。)

二人とも『japanease風邪菌』を持って入国してきた。(密輸??)

パパにうつらないといいのだけど。(抵抗力が人一倍低い人間。)

パパの状態はテンションは高いのだけど、腹水が溜っている状態なので少し動くと顔がしかめっ面になってしまう。ひろくんもそうだけど。

パパもひろが帰ってからの反動が、ドンッと返ってきそうで恐いな。

今日は二人とも疲れているので部屋でのんびりすることに。夕食は皆の食欲がバラバラだったので、ひとりづつチャーハンを作った。

ひろがおいしそうに食べる姿をひさしぶりに見てうれしかった。さあ。明日から何をしてすごそうか?ひろたかくん。


10/26(Tue)

今日は、パパの発案でwest endへ行くことに決まりました。(バス亭で突如決定)

元気いっぱいなのはひろと私。パパは昨日の疲れが取れず、妹のY子はゴホゴホ。

まあ、のんびり見ましょうと、休み休み楽しみました。

お昼はアメリカのハンバーガーを満喫。喜んでもらえたと思いきや、由美子はもうすでに日本食が恋しいと言い出す。

ひろはお腹がすいていればなんでも「おいしいおいしい」と言って食べますが。

帰りはとうとうパパの電池が切れてしまったので、タクシーで帰りました。

夜はトランプをやったり、ビデオをとって遊んだり、ひろくんが楽しめるうようにとパパがとっておいた、『バブルバスソープ』のおふろに入ったりと、なんだかんだで夜中の二時頃まで起きてました。


10/27(Wed)

食料が底をつきそうなので、minyard’sにお買い物。ここのスーパーは唯一私が一人で買い出しに行ける大型スーパー。バスで15分の所にあります。

ひろはダートバスに乗るとものすごく深刻な顔をします。(眉間にしわを寄せて口がぽか~んと開きっぱなしになる。この顔はパパにそっくりで笑えるんです)

緊張しているのかな?まあ、日本のバスとはまったく雰囲気が違うからでしょう。

さてさて。

最初にひろの目に止まったのが『ケーキ』。アメリカのケーキは甘くて大きくて、カラフルです。子供にとってはそれはもう御馳走です。丸いのもあるし四角いのもあります。ひろが指を指したのはチョコのデコレーションケーキ。

チョコには塩分が意外に入っているのでどうしようかなあと思いましたが、ひろの根気に負け、$3.99で買いました。ひろは大喜び!一人で食べる!!と言い出すしまつ。

由美子は喉飴が欲しいと言い出し、探したら、HALLSがあったので買いました。ダラスはとにかく乾燥しているので風邪を引いている人間にとっては地獄です。喉が痛くなります。

部屋で寒いのでヒーターをつけると一気に乾燥度がUP。静電気バチバチ地帯になります。

日本から持ってきてほしいと初めに思い付いたものは『イソジンうがい薬』。パパが喉を殺菌する為です。ところが二人の菌の方が強かった。

パパの鼻がずるずるいってます。どうやら風邪をひいてしまった模様。熱はでていないようなのでそのまま様子を見る事に。

しかしパパの行動力がまたしても縮んでしまった。反面ひろはだんだん慣れてきて活発度が増してきた。

あと5日。パパの体力がもてばいいんだけど….。

(夜、今日も夜更かし。『え??今日もトランプ?しょーがないなあ。何やるの?』

『う~んとね。七並べか、婆抜き』。3日連続。ひろルールトランプで夜はふける)


10/28(Thu)

今日はpm4:00 にdr.crippinの診察日。

ひろを連れてベイラーヘ行きました。ひろは普段はかなり照れ屋さんですが、意外に英語人(ひろ風の呼び方)に対してはフレンドリーです。

『ヘロウ』『ハーイ』『ナイストウーミーチュー』『バハハーイ』『センキュー』『イエス』『ノーオウ』『ファ~イン』

これらをきちんと大きい声で発音して言うことができる。テレビなどで聞いてマネをするんですがうまいのなんの。

子供は本当に凄い吸収力をもっています。

クリッピン先生に、私の後ろに隠れながらも『ヘロウ。ナイストウーミートウ。』と挨拶してました。

パパは腹水が気になるところですが薬は変えず、このままということに。

子供のことで盛り上がり肝心の事がいまいち聞けませんでしたが、丸橋先生にcallしていただけると言うことで安心し、診察終了。

受け付けに戻る途中、ホワイトボードをひろが発見。

何か書こうとしたので『だ~め!これは看護婦さんとか先生が仕事でつかうんだよ。』

と怒ると、後ろにいつのまにか立ってたクリッピン先生『OK,OK』とひろにペンを渡し描いてもいいよというしぐさをしました。

早速ひろくんピカチュウの絵を描き、先生の笑いをとってました。

帰りがけ、ひろがどんぐり拾いに夢中になり、パパ少し疲れる。このどんぐりの木は絶対ひろは気に入ると思ってました。たまにこの木にリスが出現するんですが、残念ながら一度もひろは見られませんでした。

夜。そう。キョーフの夜。案の定、今日もひろルールトランプでしめくくりました。

とほほ。


10/29(Fri)

昼間はtargetへお散歩がてらお買い物。

ここはとにかく何でも揃ってます。で、やっぱり広いので、Y子もひろも帰る頃にはぐったり。(パパは体調があまり良くないので無理せず御留守番)

家に帰ってからはアパートの受け付けで借りたビデオ『アンツ』、由美子がもってきてくれた日本のバラエテイーのビデオなどを見ました。(ひろはバカ殿がお気に入り)

今日はすきやきを食べました。(薄切り肉が無いので、塊肉を自分でスライスしたもんでいまいちでしたが……味のしみ込んだしらたきと白菜はおいしかった)

……….夜。5夜連続トランプなんて修学旅行みたい。ひろは片手でトランプを広げるのが苦手なので下においてそろえるので、手の内が丸見え。でも楽しんでいるからいいのかな(?)

パパは食欲はあるものの、熱が少しでてきて夜中はうなされてました。毎晩、多分うなされてるんじゃないかな?

パパの夢ってどんななんだろうか………。

しかし、ひろはパパと一緒に寝てくれない。こっちにきてから私にべっとり。毎日のようにプロレスごっこ。私はうれしいけど、パパは寂しそうにしてる。

でも、ひろくんにとってパパの存在は特別でして、(パパの体の事はよーくしっているので)照れもはいっているので『おいで』と言われても気持ちと逆の態度をとってしまうんだろうし。

パパがあまり無理できないって知っているせいでもあるかも。さすがに今のパパに、プロレスやろうとか、かけッこしようとかいえません。

でもでもでもあと1年もすれば、それらも夢じゃないんですよね。移植って凄いと、術後の人を見かけるとつくづく思います。


10/30(Sat)

今日halloweenだと勘違いしていた萩原一家は、とんだ恥をかいてしまいました。

でもなんとかアリスンさんとコンタクトをとり、明日アリスンさんちの近くの住宅街を一緒に回ってもらえることが決まり、一安心。生まれて始めてのhalloween。

ひろはどんな格好をさせようかな?とパパははりきってますが、本人は参加できないかもしれないと言っている。

無理は禁物ですが、なんとかひろと一緒に参加できないでしょうか?

今日は雨降り。冷たい雨です。ほんとダラスの気候は極端です。

夕方小降りになったので、ひろとBaylor探検へ。余りの寒さにひろは手袋をして散歩。

途中ドングリの木の前を通りましたが、リスはいませんでした。

さあ、6日目の夜。由美子とひろは完璧に時差ぼけで、変な時間に起きたりおなかすいたりして私もなんだか変な生活になってしまいました。

まあ、一週間なので、日本に帰った時を考えるとこのままでもいいかな?とも思いますが。

今夜も7並べにババ抜き三昧。

パパは相変わらず、夜中、足がつったりなんだりで、熟睡できて無い様子。

明日はどうだろう??

*今日の夜中でサマータイム終了。


10/31(Sun)

昼間はのんびり家で楽しみました。日本にいるときとあんまり変わらないかんじで。パパの調子は、今日は根性でなんとかhalloweenに行くことができました。

とはいうもののあまり長い時間は無理ですが。(お腹が、カエルみたいにぱんぱんになっているので)

ひろはアリスンさんに『trick or treak』(いたずらか、それともお菓子かというような意味かな??)という言葉を教えてもらい、いざ出発!

そうそう。ひろの衣装は日本で由美子がフリーマケットで10円で購入した『浴衣』。

帯がないのでどうせばれないだろうと、由美子のマフラーで代用。

そのストリート沿いの住宅のほとんどの家族が、玄関で子供達がくるのをお菓子を持って待っててくれてる。(参加しない家は玄関先などの電気をつけない)

ひろはパパと手を繋いでゆっくりゆっくり玄関先へ歩いていく。

一生懸命覚えた『trick or treak』をテレながら言い、『happy halloween!』と、飴をもらうと『thank you!』とお礼を言ってました。

そしてニコニコした顔をして紙袋を覗きながらどれくらい入っているのか確認してから戻り、次のお家へいく。

何件回ったのかな??

ひろも満足したところでパパがgive up!となってしまったので帰ることにしました。

アリスン宅には二匹のわんちゃんがいるんですが、ひろが気に入った模様。

さてさて、早いものでもう最後の夜になってしまいました。

やっぱり最後はひろルールトランプできまり。今夜はパパも参加。七並べでなく、ババ抜きでもない『神経衰弱』をやりました。

たのしかった~!!

いつもの夜となんらかわりないと思いきや、なんとひろくん、パパと一緒に寝る事を承諾。(こっちにきて始めて)

やはりひろくんなりに明日帰ること、パパの事を考えたんでしょうか。

大きいベットにひとまわり大きくなったひろくんとひとまわり小さくなってしまったパパ。(お腹は大きいですが腕などはがりがりなんですよ。)

でも今夜はパパはうなされずにぐっすり眠れそうですね。

……..私がねむれな~い。あっ。Y子まで起きてきてしまった。今、am3:30。

明日起きられるかなあ。


11/1(Mon)

1週間前と同じ、朝からそわそわ。

ひろは案の定ぐずっている。う~ん。こまった。ということで、ひろが気に入った肌触りのいい、クッションを持っていっていいことに決定。

しぶしぶではありましたが、なんとか空港までこれました。

飛行機は運良く(?)少し遅れ気味で、待ち合い所でのんびり話ができました。

1:50。搭乗できるとのアナウンスがながれ、搭乗口まで。

『じゃあね。元気でね。またすぐ会えるからね。ねっ。』

パパも『きをつけるんだぞ』と言葉がつまっている。

ひろとY子の姿が見えなくなったと同時にパパがポロッと泣いた。ほんと。1適。すぐにいつもの調子で冗談を言い出したけど、ひろくんに対してでなく、私はパパのそんな姿を見てもらい泣きしてしまった。

家に帰り最初にでた一言『またたいくつな、しかもつらい毎日がはじまるのか…』

パパの腹水がぱんぱんで限界なので、私がブレンダさんのところに利尿剤をのんでいいのか聞きに行く。

でもなぜか明日診察の予定を入れることに。時間は後でメールでということなので一時帰宅。

メールには『腹水を抜くため、明日am9:00に来て下さい』というような内容でした。

さあ!しんみりしている暇はないぞ!!明日からまた忙しくなるぞ!退屈なもんか!!私とパパはこれからが大変なのだから。

………….ファイト。

*アポロ13のラストシーンじゃないけど、『空をみあげて思う。今度はいつひろはあの飛行機に乗ってきてくれるんだろう?』

飛行機が電車みたいに気軽に乗れて安ければいいのに。そうすれば、学校にかよいつつ、パパのお見舞いにもすぐ来れるのに。

ダラス~日本。遠いな。

ここまで妻の日記